恋する段差ダンサー

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多摩と渋谷で見た夕日

渋谷系、或いはロジャニコに関する研究はネット上に山のようにあるから、詳細はその辺の方に譲るとして、個人的な想いを語ってみたい。


両親が共働きだったせいで、僕は幼少時代から「ひとりの時間」が大量にあった。子どもだからね、寂しくないことは全くなかったが、やがて「ひとり遊び」の楽しみを見つけると、すっかりそれに耽溺してしまった。その大きなもののひとつがラジオで音楽を聴く、というものだ。


皆さんは、今の僕の趣味から想像して、さぞかしロック少年だったのだろう、と思われるかも知れないが、ここのダイアリを読めば、むしろポップ系の人間だったと言うことがおわかり頂けると思う。思い返せば、それは父の趣味を反映していた。幼児期から父の所有するクラシック大全集などを聴いて育ったし、スタンダード音楽も大量に流れていた。知らず知らずのうちに僕の中には、そういう甘美な和声の流れとメロディが染みこんでいたのだろうと思われる*1。だから、ラジオで聴くポップス系の音楽も、ちゃんとそうして選別して聴いていたのだ。

高校時代からドラムを始めた僕は、やがてポップ系とは距離を置くようになり、ロック音楽(特にプログレ系)にどっぷり嵌った。ドラマーではあったけど、本当に自分がやりたかったのは、楽曲を創って歌う事だった。しかし、いくつかオリジナルを創ってみてもダサいことこの上なく、自分にその才能はないものと思われ、このまま一介のドラマーで終わるのか、などと悲観したこともあった。

そんなある日、街中で偶然流れた「ミニモーグ」と思われる音色に耳を引かれたのだった。なんか懐かしい音色だなあ、でも曲自体は新しい気がする、なんだろうこれ、と訝った。帰っていろいろ調べると、あるアレンジャー氏のプロデュースした楽曲だったことが判り、その系列を辿るうち、密かにそういった古い音がマニアの間で注目されつつあることを知る。


その後の詳細は省くが*2、それらのジャンルの音楽がどれも実に僕にとって耳馴染みがよく、また楽曲そのものも、これは僕ではないか!と思わせられるようなものばかりだった。僕が深く考えもせずに曲を作れば、全部こういう風になるんじゃないの?的な、ある種不敵な考えまで抱いてしまうほど、それは衝撃だった。前回のニールセダカで語ったとおり、この時も「自分の路線の肯定」に出会ったのである。


番組の中で散々語っているとおり、ロジャーニコルス、ポールウィリアムス、或いは渋谷系全般*3の音楽は、そのまま当時*4の歌謡曲の特徴として踏襲されている。サウンドだけでなく、メロディも和声も、ということである。そしてそれらは、そのまま僕が幼少時代にたったひとりで聴いてきた音楽そのものであった。

この音楽に再会したとき僕は、自分の中にある「郷愁」という感覚に気付いた。そうして、自分の過去の風景にもう一度浸ってみたい、と強く思ったとき、自分のイメージとして浮かんだ風景が「多摩*5」だったのである。

僕は今でも、このロジャニコの音楽を聴くとき、当時の人々や街の様子と同時に、自分の幼少時代のひとりの薄暗い部屋と、多摩の土手や木々や団地の中にある夕日と、多摩川土手で遊ぶ少年達を思い出す。僕にとっての「渋谷」はきっとそこらへんにあるんだろう。


最後に、番組内で語っているミシェルフィリップスの「萌え〜」な名曲を貼っておこう。僕ら楽曲制作者にとって「綺麗な女優さんが、さして上手くもない歌で超名曲を歌う」という路線は、とてつもなくツボである。永遠の夢かも知れないよね。


*1:余談だが同時に僕はアニマルズの朝日のあたる家に衝撃を受けブルーズ旋法というものの洗礼も受けている。これが後にビートルズやZeppelin趣味として花開く

*2:企業秘密w

*3:ロジャーニコルズを渋谷系とするか否かは置いておいて、僕にとっての「多摩風景」はそのままカプセルに繋がっている

*4:70年代、そして90年代

*5:詳細は毎日が夏休みで語られています。