恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

久我美子さんと「挽歌」2。そして北海道。

前回からの続きです。
釧路という土地にとって「挽歌」とは何だったのでしょう。

karamandarine.hatenadiary.jp


先日、釧路の実家に行き物置を整理していたところ、なんと!「挽歌」の初版本が出てきたのです!

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写真右の「著者近影」。
あちこちで見かけますが、実は初版本に掲載されていたのですねえ。
あと、新聞連載時のかわいいイラストも載っています。


これを発見し、母に報告いたしましたところ、「うわー!懐かしいねえ!」と大喜び。さっそく読み始め、曰く「すごくおもしろいうえ非常に読みやすい!」とおっしゃる。そう、原田康子さんの原作は、皆がそういう感想を持つ。「面白く読みやすい」。これは大衆文化として大変重要な要素なのではないだろうか。自分自身の本職「音楽」にも通じる概念だと思った。

前の記事で私は、幼い頃の記憶として「あまり挽歌が推されてない」という印象があると書いた。母なんかもそうだった記憶がある。ところが、こうして再読したときに「おもしろい」などと感想を持つということは、作品として「やっぱり普遍」なのではないかなと思った。ちなみに、釧路出身の有名作家さんは現在でも何名か居るが、母は「それらの作家作品」は好みではないと言う。昔から「厳しい鑑識眼」を持つ母なのである。

個人的にこの作品が好きなのは、何度も述べてるように「キャラと心理描写の描き込み」が半端ないからなのだが、でもそういう作風というのは、どちらかというと「少女小説」ぽいのではないかと思ったりした。少女小説ぽいのであれば、元祖キラキラ男子である私が好みなのも当然かと思ったりもする。
そういう意味で「挽歌」は「新しかった」のだし、また逆に、そういう点が「野蛮だった街・釧路」で、現在あまり浸透していない理由にもなっているのかもしれない。
私なんかも、読み進んでて「これは釧路というよりも、むしろ小樽とかが舞台のほうがいいのではないか」などと思ったものだ。作品に「街が追いついていない」感。釧路にとっては「ちゃらんぽらんな」石川啄木のほうが合っていたのかもしれない。


★黒澤が撮った北海道

1950年代の釧路、もしくは北海道が「異国感」あって人気だったという話は前回のエントリーで書いた。
実は「挽歌」と同じく北海道を舞台とし、久我美子さんが出演する1951年の映画がある。有名な黒澤監督の「白痴」だ。このロケ地は札幌である。

久我美子さんが出ているというので、私はずっとこれを見たいと思っていたのだが、いかんせん「黒澤映画」である。実は私、黒澤映画を「1本たりとも」観たことがないのであるw 知人の部屋などでTV放送をチラ見したことはあったが、難解だったり長尺だったり、あとは表現が古いような気がして好みではなかった*1
そんな先入観があったので、なかなか手が出せなかったわけだが、せっかくの「久我美子さんと北海道文化」なので、苦行に耐えて「遂に!」見てみたのである。

案の定…つらいw 苦手な場面がダラダラと続いていく。しかも「久我美子さんが全然出てこない!」。いつまでこの苦行に耐え続けなければいけないのか…と思い始めた、開始から1時間半後。「やっと」久我美子さんメインに展開し始め、心からホッとしましたw

ということでスクショのコーナー。

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赤い(と思われる)コートがとてもかわいい。

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氷上カーニバルをみんなで見ている

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お嬢様なのでピアノを嗜みます。すてき。

1951年の札幌。
確かに建物や街中&自然の風景は「異国感」ある、といえば「ある気が」します。なぜ「気がする」程度にしか感じないかというと、私自身が「道民」だったからです。なので「こういう風景よくあったなあ」みたいにしか感じないのです。
確かに豪雪の町並みや路面電車、公園風景などは、例えば「ロシア風」みたいに見えないこともないのだけど、そういう意味では、やはり「挽歌」のほうが圧倒的に上で、こちらを純粋に楽しめなかった自分が「ちょっと残念」でした。
ただし、この映画についてみんな言ってることですが、当時行われてた「中島公園の氷上カーニバル」。これはすっごくおもしろいです!*2
1951年といえば「終戦後6年!」でして、当然GHQ占領下にあります。そんな時代に、このような映画が撮られたのはすごいなと思いました。

肝心の内容や黒澤映画ということに関しては、個人的に琴線に触れず、特段何も感じなかったのですが、黒澤監督という人は「カッチリ作り込む」ことで有名なので、ちょっとかわいい久我美子さんのキャラ、所作、表情、言い回しなど「一挙手一投足」すべて黒澤監督の演出があったと想像すると、それはおもしろいなあと思いました。


★「あの手この手」

さて。気を取り直してw
これは北海道ではありませんが、久我美子さんシリーズということで、市川崑監督の喜劇「あの手この手」を見てみました。1952年の作品。「白痴」の翌年なんだけど、いきなりはっちゃけて「おきゃん」を演じてるのがすごい。しかも髪型もショートにイメチェン。

有名な見どころがひとつありまして、久我美子さんと言えば「また逢う日まで(1950)」での「窓ガラス越しにキス」という超有名シーンがあるのですが、それのセルフパロディをやってるところなのです(過去記事で触れています)。市川崑だもんねえ。さすが。

ネットでいろいろ評を読んでみると、久我美子さんの「おきゃん」キャラが迷惑で嫌だ、みたいな意見が多かったけど、そんなことないけどなあ。周りの「硬くて古臭いオトナ」を翻弄していくのはおもしろい。まだ戦後7年なのに。これからは新しい時代なのよ!って感じですね。

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プンスカ。このあとガラスを割ってしまう。

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有名なセルフパロディ場面。

これはなかなか面白い映画でした。こういうお話は古今東西いくらでもありそうだけど、当時の文化、例えば「ウーマンリブの台頭」などと合わせて見ると、いろいろと興味深いところがあります。
あと、典型的な昭和風景、町並み、バーや喫茶店の様子など、北海道出身の自分にとって「挽歌」や「白痴」よりもむしろ、こちら(大阪)のほうが「いにしえの」赤坂・新橋などを思い出し、「都会への憧憬」や「郷愁」を感じるのが面白いところでしたね。*3


★「お早よう」

久我美子さんシリーズを続けて見ていきます。私、実は「小津映画」もあまり惹かれず全くの未体験だったのですよ。久我美子さんが出ているので「無理くり」今回観てみましたが「ああこれは私好みじゃないわw」と改めてはっきりわかったんで、そこがよかったです。

これも黒澤同様、久我美子さんが「ずっと出てこない」。一応名前としては主人公と「ツートップ」なのです。なのに「なんなのこれは!」と、ずーっと思ってイライラした。しかも下品な表現や場面などが多々あり、ずいぶん閉口しましたわ。

1959年の映画ということで「挽歌」より2年後ということです。カラーになったのもあって、なんとなく久我さんが疲れて見えるのが、ちょっと切なかった。 


ロケに使用された南武線八丁畷」駅ホーム。

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ニコッと。

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この辺のシーンはお馴染みですが、映画終盤にやっと出てきます。

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もうすっかり「おねえさん」になっています。


昔わたし、テレビから録画したアイドル主演のドラマとかを「ストーリー完全無視」でカットしまくり「アイドル出演シーンのみ」繋げた編集で見てて、一緒に見た友人などから「なんなんこれ!ストーリーが全然わからん!」などと顰蹙を買ってたんですが、久々に「そういう編集」したくなりました。私もまだまだ「小津の世界」を理解するには若すぎたようです。


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ジャケはどっちも綺麗なんです(ビデオテープ)。



というわけで、久我美子さんシリーズ。
最後に過去記事を紹介して終わります!

 

 

*1:ちなみに「原節子」も私はこれが初体験

*2:参考→中島公園の歴史

*3:karamandarine.hatenadiary.jp

久我美子さんと「挽歌」。そして釧路。

というわけで、今さらながら挽歌と久我美子さんにハマっています。
前にこんな記事も書きました。 

karamandarine.hatenadiary.jp


この作品「挽歌」についていろいろ調べていくと、小説は「大ベストセラー」だわ、映画も「君の名は」に次ぐ大ヒットだわで、文句なしの「ご当地」盛り上げアイテムだろうに、今の釧路で「あまりそうなってない」のは、やっぱり「ダブル不倫を 霧とロマンの街 という表現で美化した」内容によるものですかね。母なんかも昔はやっぱり、これについてはあんまりよく言ってなかった気がする。こんなので街が有名になってもねえ…みたいな*1

あと今「DVD化されてない」んですけど、久我美子さんの設定が「片腕不自由」をコンプレックスとする人で、映画内でも頻繁に「あたしがカ○ワだから同情してるんでしょ!」みたいなセリフが出てくるのですよ。ファッションや佇まい、キャラはすっごく魅力的なだけに、なんかこの部分だけ「取ってつけたような違和感」がある。
興味深かったのは、今見ると久我さん女子の言動って「典型的な試し行動」なんですよね。どうなんだろ、そういう点も含めて、例えば DVD化&一大キャンペーンでメジャー化したりする、などということは難しいのかもしれないなあと思ったな。

そういった事も含めて、改めてこの作品について考えてみた。


★異国としての北海道

当時の日本としては、コレがキッカケで、これまで「誰も知らなかったような北海道」や、その外れにある「一地方都市の魅力」が全国に知られるようになり、みんなが北海道に憧れたりロマンを感じるようになったということらしいのだけど、これ1957年の映画なので、確かに当時は例えば東京からでも、北海道になんかそうそう行けない時代だったから、まるで外国みたいに思えたんだろうなと思った。

これはちょっと前の「黒澤の白痴」も同じなんだけど、北海道をちゃんと撮ったものが当時あまりなかったんだよね。なので、光景とか文化がスゴイ異質に見えたんだろうと。僕が普段から「北海道は外国だ」と言ってる意味がわかっていただけるのではないかと思いましたの。

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2018/01/14 撮影。
釧路観光案内の「挽歌」コーナー。


久我美子さんは、ちょうど自分の母親とかが憧れるような世代のスターですけど、こんな「故郷がいきなり脚光」浴びたりして、当時の釧路女子の方々はどんな気持ちだったんだろう。

当時の距離感事情なんかも調べてみたんだけど、上野〜札幌間が「列車で 26時間」とか札幌〜釧路間も12時間!とか、まあ気軽な距離じゃないわね。まあだから旅行も住むのも相当な覚悟がいるだろう。

長崎にいるとき「あなたが北海道に帰ったら今生の別れみたいな感じになりますね」と言われたことがあるんだけど、九州からじゃ、今でもそういう距離感だろうと思う。
そういえば長崎のデパートで頻繁に行われてた「北海道物産展」が毎回大行列!の大人気だったけど、「なんで??w」とか思ってたけど、もうほんとに「九州からじゃ外国と一緒」ですよ。そんな感じだろうね。この時代の「挽歌」もそのように見られていたのであろうと。

おもしろいことがあって、北海道から本州に出てきたとき僕が一番ビックリしたのは「瓦屋根」の存在だった。それまで瓦屋根なんか、お寺とか、あとは「時代劇」でしか見たことがなかった。本州は未だに江戸時代なのか?と思ったくらい。まじで。

つまりこれは、その逆パターンで、この映画にも出てくるストーブ文化とか洋式な作り(そうしないと寒くて住んでられない)、スカスカな土地空間みたいな絵面は、当時の「内地*2」人にすっごく新鮮に写ったのではないだろうか。

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この写真は坂の上にある病院なのだが、これもすっごい異国感ある。1957年というと「戦後12年」ですよ。こういうロケーションは、どこか「満州などの戦地」を思い出す人も多かったのではないだろうか。

そのように、この作品と故郷についていろいろと改めて考えたとき、初めて自分の中に「故郷を他所の人の目で見る」という視点ができたのだな。

先述の「黒澤の白痴」という映画が「1951年の札幌」を舞台にした映画なんだが、やっぱりそういう異国感がある。黒澤もそういう札幌が好きだったようなのだが、札幌がだんだん近代化、というか「本州と同じような街に新しくなってきて興味がなくなった」と言ってたらしい。
それはまさしく、自分が知っていた故郷の様子とも重なってて、僕は常々、文化的には「80年代こそ何もない、ロスジェネだ」と言ってるんだけども、このように北海道も「内地」と同化しようとして「失った独自文化」はたくさんあったんじゃないだろうか。そんなことを思ったな。


★故郷を「よそ者の視点」として見る

このように今回「故郷を客観視」してみるという気になったのは、もう一つ大きなきっかけがあって、それは「ある人から請けた、故郷に関するインタビュー」である。その彼*3。僕の銀座ライブのときタイバンを見に偶然来てたのだが、終わったあとに突然寄ってきて「実は自分は釧路に月一くらいで通ってるんです!」と。そして何やら資料を取り出し「こういうプロジェクトをやってるんです」と。それがなんと「釧路の魅力を紹介する」というポータルサイトなのであった。更には「半年後くらいに移住する予定です」と言う!
コレ聴いて私「えええええ!??」と思ったわね。そう何処かで聴いたことのあるような話。「僕自身の長崎移住に至る経緯」とまったく同じなんである!
そうして私は「故郷についての取材&超ロングインタビュー」を受け、記事になって公開されたというわけですね。

僕が長崎移住したとき「いい街なのに 住民が誰もその面白さに気づいてない」ということに、いろんな意味で感心したものだが、その彼も今回「当時の僕とまったく同じこと(釧路の人々が街の魅力を全くわかってない)」を切々と訴えてくるので、これは実におもしろい!と思ったよね。

取材で僕は、もちろんそういうこと全てぶっちゃけて、自分が長崎で経験したことも全部伝え、これから貴方にも「似たようなことがどんどん起こるはず」だが ひねくれず 頑張ってくださいと言ったw

まあそんなこともありつつ、毎回帰郷の際に立ち寄る「空港行きバスターミナル(Moo)」に挽歌の展示コーナーと久我美子さんのでかいパネルがあって、それを毎回なんとはなしに「へー」と思って見てたものが、今回の取材をキッカケに「いったいどういう小説と映画だったのだろう?」と改めて興味を抱いた、というのが今回の流れなんですね。

つまり「当地の人間としてはまったく興味がなかった」が「外から見たらどういうふうに見えるのか」ということに興味を持った、というわけです。

あれだけのベストセラー&大ヒット映画だったにも関わらず、市民が比較的冷淡なのは、試し行動女子とダブル不倫、という題材のせいかと思ったんだけど、ただそれだけではなくて、ただ 単に「みんなピンときてなかった」というのが大きな理由なんじゃないだろうか。
長崎みたいに「オラが街が舞台になった!」と自慢&激推ししてくるのもめんどくさいけど、「挽歌?なにそれおいしいの」的な中2市民もまためんどくさいわねw

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MOOにあるパネル。
秋吉久美子さんバージョンのポスターも掲示してある。


★故郷の黒歴史と向き合う

前にも書いた気がするのですけど、故郷の一番大きなCD&書店の店長に「かつての同級生」が就任してたという話がありまして、私の経験上、そういう過去の知り合いが「仕事上の取引相手」になるのは非常にトラブルのもとになります。案の定、このときも拗れまくって、結局いま私のCD関係はこの店にはないと思う。もう既に彼も辞めてしまい店長ではないが、未だに当時の残留店員も居り、遺恨は残ったままだ。
彼に限らないが、街、あるいは「あの世代」の気質として「文化的な人間」があまり居ない、という傾向はやはり否めなくて、つまり彼も書店の仕事なんか「向いてなかった」んだと思うし、そういう中で「かつて当地に馴染めてなかった私」と諍いになるのは、当然の流れだったように思う。

釧路というところは「炭鉱・漁業・製紙業」といった「第1次・第2次産業が中心」に発展した街で、そもそもが「文化的素養」のある土地ではなかった。要するに「野蛮な街」だったのね。
そんななか私が「国立の小中一貫」に通ったというのは、今思うと、自分にとって「文化的オアシス」みたいなもので、唯一の救いだった気がするが、それも高校に行くと「市内随一の進学校なのに野蛮な人々が多数いた」という現実に、心も一気に挫かれてしまう。頭がいいのと野蛮なのは無関係なんだよね。そんなことを思い出す*4

当然のことながら「故郷を舞台にした作品」だから、いろいろ調べていくと、故郷に関係する話題やら人が、当然どんどん出てくるわけで、そうすると「自分の黒歴史や古傷」なんかも同時に記憶の深いところからほじくり出されてくるから、この事例に限らず、なかなかキツくもある。そういう流れで、ココで母やブラック部活のことなんかも書いていたわけだけども。まあ今回は「そういう覚悟」も出来た上なので掘っていってるんだけど、辛いことは辛い。

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書店でも一応「推して」は居る。


★謎の「啄木」推しと「挽歌」冷遇。

最近、帰郷回数が多いので、そのたびに「ご当地」などを歩いてみるが、どこも「見事に」スルーされている。案内もなければ、FBやグーグルマップなどの「スポット登録」すら誰も行っておらず、冷遇という扱いに近い。
そもそも私、釧路という街の「謎の石川啄木」推しがよく理解できず、こんな「ちゃらんぽらん*5」で、しかも「2ヶ月くらいしか住んでなかった啄木」なんかを、全面的にアピールする意味がわからない、と思ってるのだが、その労力があるなら、もっともっと「挽歌」のロケ地やご当地の紹介があってもいいように思う。


「挽歌坂」の「定点観測」比較をやってみた。
既出の「1957年」写真と「2018年」写真。面影はあります。

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正式名称は「相生坂」と言いまして、一応「色あせた」看板があります。
「挽歌」名所である案内は一切ない。

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ちなみにこの撮影のとき、4月というのに雪!が降って来まして、凍えそうに寒く、スマホで撮るのも、さながら南極探検隊のごとく「決死の思い」で行ったものです。荒涼としてスカスカ、強風と叩きつけられるような雪のなか、今にも遭難しそうな状況で「釧路は今後いったい大丈夫なんか??」という思いが、自分の中で「よりいっそう」募ったものでした。


追記。
前の記事にも書きましたが、原作の小説の方は、特にキャラや心理状態などが「みっちり書き込まれており」しかも「大変読みやすい」ので、映画だけで「食い足りない」「なんか消化不良感ある」と思った人は、原田康子さんの原作を是非お読みになることをオススメします。

挽歌 (新潮文庫)

挽歌 (新潮文庫)

 



★続き

karamandarine.hatenadiary

*1:ところが最近、この作品を母が再読し、痛く感動していたのだ。続きの記事にて

*2:北海道の人々は本州以南の日本をこう呼ぶ

*3:94646を運営してる方(id:kushiroshiro)でした

*4:→ バンカラ進学校の洗礼
*なお「最近の釧路」は少し変わったらしいです

*5:→ 石川啄木を5分で!

自己責任トラウマ 2

こないだ、以前ハイクに書いた「自己責任トラウマ」に関する文章を、以下のように校正してアップしたところだったのですが。 karamandarine.hatenadiary.jp


その二日後くらいに、なんともタイムリーな記事が上がりまして、なんだこれ、すごいおかしいw と思ったところです。

とある友人とのコト - Chikirinの日記


見事ですよね。私の記事でも書きましたとおり、この傾向の人々は概してこんなことばかり言ってまして、またそれが「あはは。私が書いたみたいw 昔の自分みたいでデジャブ感すごい」みたいに思っておもしろいのですが、ちきりん氏も「いい年」されてらっしゃると思うので、今の時点で未だにこんなことを嬉々として書いて大公開するなど、たぶんこの人も「一生このまま」なんやろなあと、感動すら覚えます。


実際に私、むかしのブログでこんな事書いてたんですよねw

mrcms.hatenablog.jp
こう考えると、今の自分は「よく更生できたなあ」と思う。


前記事にも貼りましたが、この渡邊さんのツイートが全てを表してるので、再掲しまして、この記事を終わりとさせていただきますね。

 

自分はこんな逆境でも立派にやってこれた。なのにあなたが出来ないのは、あなたに「なにかが足りてないせい」だという、彼らの持論。おそらくその根本にはこういうことがあったのだろうという。寂しかったんだねえ。