恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

ポッキーの日

11月11日はポッキーの日だったそうですよ。

ツイッターでこんな面白い動画を発見しました。いい曲です。

 

このかたは「ぱなえ」さんという、普段はアコギ女子の人です。以前「向江陽子さん *1」などと一緒に「女豹三姉妹」というユニットを組んでおり、その関係で知っていました。川崎や渋谷でライブを見たこともあります。


ずっと「女子アーティスト問題」についてココで語ってきましたが、いろいろ見ていて思ったのは、例えば私が昔好きだった「ヤマハ系ピアノ女子」みたいなタイプの音楽と、彼女たちの音楽は「それほど違いがない」ということなのです。上で挙げた「ポッキーのうた」にしても、1980年くらいにもこのまま有りそうな歌ですし、どこの時代に置いても違和感ない、普遍な感じなんですよね。ひょっとしたら時代が戻ってるので今そう感じてるのかもしれないけど、まあともかく、とても馴染みやすいジャンルだなと思います。

たまたまかもしれませんが、私が見た20代女子アーティストの音楽が、このようなものが多いせいで、逆にサブカルぽい音楽性のほうが、自分的には「ちょっと古い」感じがしてしまいます。そこが面白いです。


さいきん、ある女性の方と「女子アーティストにおっさんしか来ない問題」について話したのですが、その方に「あなただったら同年代女子のライブとか見たいと思いますか?」と尋ねたところ、「同年代の人の歌なんか、自分と近すぎてあまり興味持てない。むしろ離れた歳の音楽とかのほうがいい」と言われたのです。

以前私はココで「客がおっさんばかりで、アーティスト本人は楽しいんだろうか」みたいに書きましたけど、上述みたいな意見があるってことは、私が心配するほどでもなく、アーティスト本人は、さほど苦痛もなく、楽しく割り切ってやってるのかもしれません。ファンが多いと楽しいもんね。
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そういえば先日、面白いことがありましたの。知りあいさんが出るので「某青山のライブハウス」で、久々に女子イベを見たのです。そうしましたところ、その知りあいさんは置いといて、その他の 出演女子の方々が「ずいぶん凡庸で」びっくりしたんです。全部オリジナルではあったんですけど、みんな「そこら辺で誰でも歌ってそうな音楽」しかやらないのです。
また不思議だったのは、こういうイベにつきものの「おっさん集団」があまり居ないんです。年齢層も性別もバラけてて、なんか不思議なざわつきがありました。
そういうところが自分的に「女子アーティストイベってこんなだっけ???」みたいにずいぶん違和感があって「なんだろうこれ。」みたいにライブ中ずっと思ってたんですね。
そうしましたところ、最後にトリの方が出てきまして、なんとその方は 元プロ の「アラフォー女子アーティスト」さんでした。ああなるほど!と。元プロで年齢もそれなりだと、客層もこんななのだなあと。
そう思ったのですが、そうするとじゃあ、その方の前の3組(知り合い含む)は、全員「オープニングアクト扱い」だったってことなんでしょうか?みたいに新たな疑問が湧いてきて、なんか自分だったらそういう扱い、嫌だなあとか思ったんですよね*2

そういう事があって逆に、私が以前よく行ってた、たとえば北参道や渋谷のイベ、「向江さん」とか「ぱなえさん」が出てたりしてたイベって「実は楽しいものだったんだ!」と気づいたわけです。そして「楽しいだけでなく」実は「レベルや個性も一定レベル以上をクリアしていた」ということに気付かされた わけです*3

そういう気付きが最近あって「なんだかんだ言って自分の鑑識眼もマトモだったんじゃん…」みたいに改めて思えたというのは、自分的に再発見だったし、自分の感覚に再び自信が持ててよかったなあ、と。そう思えた出来事でした。


他にもまたいろいろ発見があったので、このカテゴリーで引き続き書いていこうと思います。

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★関連karamandarine.hatenadiary.jp

*1:向江陽子さん → 僕はいつでも打ちのめされたい

*2:そんな事もあってトリの彼女を見ずに帰ってきた

*3:日向文さんが出てたイベもクィリティ高かった

新宿ベルク騒動に見る「スマートなアラ還しぐさ」

★書いた当時と心境も変化し、もう十分読まれたと思いますので本文は非公開にさせていただきたく存じます。前も言いましたとおりココで一番言いたかったことは「業界ホモ・ソーシャルきもい&けんたろうクソ」なので、それさえ伝わればもうそれでいいです。ではごきげんよう

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*1:10月18日追記。fさん御本人によるマトメができました。→ ftheminion.hatenablog.com

*2:ネット上の人物考察に関して「実際の彼はいい人」などという言説がよくありますが私はこれを考慮しません。ネットに現れている人格もまた「その人」だと思うからです。

*3:実際に行動しなくても、脳内で他者の感情や様々な場所を想像できる、共感能力みたいな意味合い

*4:10年ほど前から私はツイッターで彼女と相互フォローだった。今はお互いに外しているので、関係として近いというほどではありません

*5:だから私はあの世代と距離を置く。彼らと接しているとそれが当たり前になってしまうからだ

*6:関連 →「九州ミソジニー九州で下駄を履かせてもらってた話

*7:個人的には石原慎太郎氏のキャラと被ります

*8:主宰ではないとのこと →  竹中直純 
ですがプロデューサーとして深く関わっていたのは事実ですし「高橋健太郎氏との繋がりが強いサイト」という印象は変わりませんので。
なお私は前身の「レコミュニ」時代から配信している。付き合い長いんだよw

*9:似たような現象は「坂本龍一」氏に対しても起こりがちです

*10:例えばこういうことを言ってたりする音楽家が居たりですね。→ http://twitter.com/zezi_st/status/1051294613254721536

*11:そこから自分的にはそのまま「田嶋陽子氏」に繋がる → 無感情からの開放

女子高生が「強い」とされてた時代

90年代って、そういえば「女子高生ブランド」の地位が高かったよなと最近思い出したのですよ。まあ今も話題にはなりますけど、せいぜいツイッターなどで「マックの女子高生」みたいな「自分の言いたい揶揄を代弁させた」みたいな非実在みたいなものとして上がってくる程度です。

そうでなくて、実際に「女子高生の発言力&影響力が強かった時代」というのがあったんだということを、実体験を元に思い出していきたいと思います。


まずはこの動画を。


ルーズソックス 1994

90年代の女子高生と言えば、なんといっても「ルーズソックス」に代表されます。この動画はそれだけでなく、バッグの持ち方とか、そういう女子高生の風習についても紹介されています。

どういう理由なのかはわかりませんが、90年代に入ってから「女子高生」というブランドの取り扱い方が変化したように思います。それまでの「夕ニャンから始まったアイドル的なもの&ちょっとエッチなもの」という捉え方じゃなくて、「文化的な意味での」発言力や影響力の大きさが注目されるようになってきたのですね。つまりメディアや企業が、彼女たちの影響力をバカに出来なくなってきたということです。
で、実際にどういう事が起こったかというと、会社の新製品開発部署なんかで、その辺の女子高生を集めて意見を言ってもらうとか、新商品や新企画のアイディアを出してもらうとか、マーケティングとか、そういうことが実際に行われるようになり、また「それ自体を売りに」製品がリリースされたりするようになりました*1

当時の文化として、ルーズソックス以外に、かなり大きな存在としては「プリクラ」があります。彼女たちの持っていた手帳などには、クラスメイトと撮ったプリクラが多数貼られていたりしました。友達が多いことが自慢でしたよね。

それと、個人的に「これはすごいことだ」と思った風潮がありまして、それは、上記のプリクラに関連するのですが、彼女たちが「母親と仲良しアピール」をし始めたことです*2
母とのツーショットプリクラも当然ですし、なんなら「写ルンです」で二人で撮った写真アルバムを誇らしげに開帳していたりもします。
あと、なんといってもスゴいのが、当時の彼女たちの「母の服をお下がりで着ている自慢」でした。ちょうどヴィンテージ&レトロブーム(渋谷系)で、流行が一周りしてた感があった時代でしたが、彼女たちの母の世代の服が時代に合っていたのですね。
個人的にも、当時の女子高生たちの知り合いで「これ母の服なの」と言って自慢してくる子はたくさんいました。ともかく「家族と仲良しアピール」がスゴイんですよ。親なんか「否定してなぎ倒して乗り越えていくもの」だと思ってた私は、本当にびっくりだったわよねw

あとは、上記の渋谷系にも関連ですが、80年代の「舶来オシャレ重視」から和物見直し風潮になってきます。谷根千などの江戸町並みや和菓子などの文化が再評価されてきたのも90年代ですし、和モノ回帰がオシャレであるというように流れが変わります。
それと同時に、女性のメイク傾向も変わり、いわゆる「細眉&チーク」がメインになってきます。80年代までの「濃い顔」は軒並み時代遅れになってきます。
それに伴って流行アイドル顔の下剋上が起こり、私よく例に出して言うのですが、アイドルグループの「CoCo」内での力関係が「羽田惠理香さん」から「宮前真樹さん」に移行するということが起こります。個人的には、コレは90年代顔についての象徴的な出来事だと思っています*3


数年前ツイッター上でこのような考察が行われました(私も登場しています)。
togetter.com
このエントリーと上記の考察を併せると、よりいっそう当時の文化がわかりやすくなってくると思います。
それにしても今見ると、語り合っているメンバーが「そうそうたる面々」ですよね。この彼女たちが、当時の「影響力&発言力の大きい女子高生」だったわけです。そら敵わないわw 今でもじゅうぶん片鱗あります*4

参考のため、大雑把ですが例えば「1995年に17歳だった」と仮定すると、その人は「1978年生まれ」となります。前後 2〜3歳を含めて、だいたいこのくらいの世代だと思っていいと思います。*5
最近のツイッターなどを見ると、ミソジニー発言が非常に多く、女性側のつらい立場が目立ちますが、もしこの当時に今のようなSNSがあったとしたら、彼女たち「女子高生スクラム」で、ミソジニーヲタなどひとたまりもなく駆逐されてたのではないかと思います。
今の彼女たちですら、発言の説得力はそれなりにあるんですから、それが現役女子高生だったら、その若さの勢いで「向かう所敵なし」だったでしょうね。私はそういう場面を実際に当時目撃していて、そのように彼女たちが旧弊悪癖を根こそぎ否定して駆逐していくのを「すごい!」と。「時代が変わっていく!」と思ってワクワクしていました*6
前にも書いたように私は、マイノリティである女性の立場を「自分自身に準えていた」ところがあったので、そういう光景はとても心強かったのですよね。今でもこの時のことは忘れられないですし、現在の活動の根底にも、当時のこの経験が強く生きていると思います。


上記マトメにも関連する動画を貼っておきます。 


ルーズソックス 1996

ルーズソックスの発祥から全国への伝搬。マトメを裏付ける動画ですね。この頃から「携帯」が普及し始め、女子高生たちの通信手段も、ポケベルから携帯に移ってきます。友達や母とのツーショットプリクラも、携帯に貼られるようになってきます。


当時の「強い女子高生」は「消費 or 搾取された」のでしょうか。そこは当人たちに訊いてみないとわからないですよね。ただ言えるのは、当時の彼女たちは「圧倒的に数が多くて強かった」ということです。数が多いと「ただ単純に怖い」んですよ。メディアや企業の人もそう考えたと思う。これは無視できない、と。だからアチラ側から女子高生側に擦り寄って来るしかなかったのです*7

当時の「女子高生」文化を語るとき、絶対に抜かすことのできないものがありますね。ブルセラです。私も2度ほど渋谷のそういうお店に行ったことがあります。何気に客層などを見てましたが、(商品が高価であることもあり)それなりに身分もありそうで小奇麗な若手社会人、といった人が多かったです。こういうとツッコミがありそうですが、存在位置的に、個人的には「今のメイドカフェ」に近いような感覚があります*8。性的なもの抜きで「人間」と対峙するのか、性的なものありだが「人ではなくモノ」なのかの違いだけというか。個人的には「これは性的なもの」と理解した上で「モノにお金を払う」ブルセラのほうが受け入れられますけどね。まあそれは個人の見解なので*9


最後に、この頃の文化を描いた秀逸な 2作品を紹介します。 

PAIN〈ペイン〉 [DVD]

PAIN〈ペイン〉 [DVD]

 

 

ラブ&ポップ SR版 [DVD]

ラブ&ポップ SR版 [DVD]

 

 
個人的には圧倒的に「ペイン」推しですね。ただ一般向けには「ラブ&ポップ」です。ちゃんと映画という文法に則ってますし(カメラワークなどは斬新だが)見やすいと思う。でもリアリティあるのは「ペイン」なのです。
そしてこれらは、どちらも「90年代が終了する頃」の作品であることが重要です。つまり「熟成して終わっていきつつある」文化を描いてるってことです。なので、どちらも見終わったあと、スゴく寂しさと切なさが残ります。もうこの時代は二度と戻ってこないのだと。

それを現在まで引きずっているのが「アラフォー逢魔ヶ時」ということなのです。


2018年の今、ロスジェネと言われ「日本のお荷物」みたいに扱われている不運な世代ですが、私の音楽的再浮上も「この世代」がなければありえなかったのです。それを考えると、私はこの世代の人々に対して感謝しなければならない。でも言い方を変えれば、私は彼女らを「踏み台にしてしまった」ということなのかもしれない。そう考えると「ちょっともったいなかったなあ」とも思ってしまうのです。

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★関連karamandarine.hatenadiary.jp

*1:この商品は女子高生のアイディアを元に開発されたものです、みたいな

*2:友達親子

*3:荒木経惟氏が撮影するモデル顔の変化が顕著です

*4:補足するとこれは「東京の女子校文化」でもあります。渋谷系がそうだったように、この文化は東京が中心だったということはあると思います。つまり、これはこれで「マジョリティ」でもあったということです。ちなみに登場メンバーのうちの一人と私は、後に交際することになります。完全に余談です

*5:つまり見事に現在の「こじらせ40代」「ロスジェネ」になってしまう

*6:個人的見解だが、今の40ヲタの人々は、このときの自分らに対する攻撃の恨みを忘れてないのではないか。それがトラウマになり今の反撃に繋がってる気がする

*7:「おやじ狩り」もこの頃。ヤマンバは少しあと

*8:「耳かき」みたいな接触含む

*9:私自身はビデオを1本購入して帰った