恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

プレイリストのピチカート・ファイヴ

3年間に渡ってハイクで書き続けたピチカート・ファイヴ考察。これを書き始めたきっかけはピチカート・ファイヴのUSリリースアルバムを全部 iPodのプレイリストにぶっ込んで「全曲リピート再生し続ける」という作戦を開始したことである。
実はピチカート・ファイヴのUS(海外版)アルバムは、日本版とは選曲が全く異なっており、また日本でのいくつかのシングル曲などが未リリースであるなど、キュレーション的にかなり興味深いのである。その辺の探求から「小西康陽の音楽とは一体何だったのか」を考察した超マラソン連載のマトメがこの記事である。

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さて。

高浪慶太郎さんインタビューから4年*1。当時は小西氏との作風と分離するため、ピチカート曲から、あえて高浪さん曲のみ抽出して聴いていましたが、そのような作戦もそろそろ終わり、次は、彼脱退後の小西氏の真髄は何なのか急に知りたくなった。とはいえ小西氏のことである、そうは簡単に尻尾を掴ませてはもらえない。だから、ココはあえて横道から行くこととし、マタドールでのリリースものを全部集め、それをリリース順に聴き倒す、ということをしています。6月くらいからかな。出かけたらiPodではそれしか聴いてない。数枚のマキシと5枚のフルアルバム。全部で8時間〜10時間くらいかな。ちょうど、先日の「日本一長い各駅停車」で聴き続けたのがちょうどよかった。ともかくどこでも聴いてる。ずっと全曲をリピートしている。どれがシングルなのかどうかとか、まったくわからない。ともかくリピートリピート、ともかく何度でもリピート。もう何巡したかわからないくらい。
前は小西氏の楽曲は好きではなかった。どこも引っかかるところがなく、セオリーにも則ってない。だから楽曲派としては、聴いてもちっとも勉強にならないし楽しくもない。
しかし今は感覚が変わった。そういうことに拘らなければ、どれもおもしろいことに気づいたのだ。

この心境と感覚の変化は思い当たるところがある。僕自身がアイドルへの楽曲提供を通じて自分の感覚がどんどん鋭くなってきたことだ。それともうひとつ、僕自身が「楽曲派」としてのコダワリをアイドル楽曲コンポーザーとして昇華してしまっており、したがって、他人の作品について、そこまで拘らなくなったのである。
これは以前も経験があります。他人の作品に感じる不満、「こうじゃねえんだよなあ…」みたいな感覚は、自分自身が作品で表現できてしまうと気にならなくなるのだ。つまり、自分がちゃんとすると、他人の行いについても「まあ、あいつはああいうやつだし」みたいに言えるようになるってこと。
だからね、他人への不満いっぱいの人も、どこかの誰かを攻めてブツブツ偏屈おっさんみたいに言うのでなくて、じゃあ自分ならどうするか、やって昇華してしまえばいいってことです。それが本質やろね。

 

 <そして1年半後>

 

ということで。この後1年半に渡り、聴き続けました。
わかったことのひとつは「US版」というキュレーションが素晴らしいこと。それから晩年に進むに連れ、小西氏の言いたいことが「ひとつに」絞られていくことです。
この件について、例によって「高浪高彰氏」と話したのですが、一般的には「幅の広いバラエティ感が受けた」らしいのだが、僕はそれが気に入らなくて、さっさと「小西氏の本音」を知りたかった。US版〜晩年はそうなってるので、やっとそこで自分は本質を捕まえることが出来た、という感じだったと。
そういう話を彼にしたら、高彰氏曰く、実は一般的には「晩年はマンネリしてつまらない」という評価だったらしい!
うそやろ!!何言ってんねん。そういう「アーティストとして一つのことのみ言っている」状態こそ究極やないか。判ってねえなあ、判ってねえ。と思った。
で、小西氏も「自分が理解されてない」って、少し病んでしまった感じだったらしいです。もったいないなあ。違うんだよなあ。僕は評価します。と思った。
 

その話を聴いて、また改めてじっくりネット上の意見などを読んでみたが、やっぱり 2人時代以降のマンネリを叩く声が圧倒的で、そういえば僕も当時その意見を読んで引っ張られていたなあ、ということを思い出した。
もちろん当時もちゃんと聴いた上でそう思ったのだったが、ところが実は私、当時は高浪さんの方にばかり興味があって、まず3人時代から聴き、2人時代の2枚くらいまで聴いて、「うんやっぱり二人になったらつまらないな」と感じ、で、その「2人初期がつまらなかった&ネット上でも総じて2人時代以降のつまらなさを酷評」という合わせ技で、ああやっぱりな、じゃあいいや、と。そこで聴くのをやめたわけだな。

ところが今回、後期の方を改めてじっくり聴き続けた結果「いやいやいや、後期のほうが挽回して来ていいじゃん!」と気づいて、延々ループすることになったわけ。

4人3人時代〜2人時代の2枚くらいまでがいい、という意見は何もネット上だけではなく、リアルな周りでも多い意見だった。だから僕は騙されたわけだが、さて。であれば「何故みんなはそう言う?」のであろうか。また僕は「何故そう思わなかった?」のであろうか。コレが実におもしろいなと思ったのだ。

 
もうひとつネット上の意見で気づいた点。当時は人気があった、などと現評価でみんな勘違いしてる様子があると。しかし実際はそんなこともないし、いま周りの人に知ってるかと尋ねても、殆どが知らないと答える、という意見がいくつも見られる。

まあ実際に、特に20代(含)から下は壊滅的じゃないだろうか。多分それは、今の評価の低さや酷評も同じ理由だと思うけど、解散後の本人の隠遁ぶりの影響が大きく、下の世代への引き継ぎが上手く行かなかったのからなのではないか?と私は考えた*2


で、実際に同時代を生きてた「私としての当時の実感」ですが、人気はあったし流行ってたと思います。ただそれは、音楽として「ではなくて」「全体的な空気」としてじゃないかと思う。当時の日本、というか首都圏 3都府県くらいかな、その辺一体を外から包む空気として、ビンテージをオシャレとする新しい価値観がぼんやりとあった、という感じだったのではないかな。雑誌やテレビやファッションなんかのトータルで、そういう流れがあったから、ピチカートの音楽そのものは知らないし聴いてないけど、間接的にその影響下にあるものを、みんなが感じていた、時代は変わるんだなあと思った、という感じじゃないかなと思う。

 

だから本人たちよりも、彼らに刺激を受けて似たことを始めた人たち(フォロワーとは言わないと思う)のほうが、センスと才能があってしまってw みんなどんどん方法論を進化させて超えていってしまったんだよね。だから今でも、渋谷系ぽいもの、ピチカートぽいものは受けるし人気あるけども、じゃあ当のピチカート本体はどうかって聴いてみたら「意外につまらなかった」というのが凡そみんなが感じることなのではないかと。
その辺の僕の意見は昔と変わらないと思った。つまり彼らの音楽を聞いて「たしかに面白いが、自分ならもっといいもの、カッコいいものが作れる」と思った人々がいて、その人らがどんどんピチカートを乗り越えていってしまったわけだね。だから当時、流行っていたのは、ピチカートそのもの「というよりは」。他アーティストによる「それに似てるけどもっと発展させたよいもの」が流行っていた、ということだと思う。

 

ところが面白いのは、今度は、時代が10年ほど巡って、当時の音楽が「最先端」とかオシャレではなくて、「懐かしい音楽」として捉えられるようになると、そういうリアルタイムでは気になった雑な部分も「コレが当時の味だから」と許容されるようになってくる。だから今はまたピチカートみたいなものが懐かしくてよい、みたいな感じになってる。
じゃあ逆に、当時「ピチカート路線で彼らを乗り越え先端だった人々」は現状どうなってるか?というと、みんな続けてもいないしブレイクしたわけでもなく「その他大勢」みたいになってしまったのね。
で、まとまったアーカイブとして品数が揃ってるピチカートみたいなものが「一つのジャンル」として形成されてるので、トータルで「こういうもの」として捉えやすいってことになったのね。
いま後追いで若者が聴く時に、同時代の他のアーティストと並べて、こっちが先だった、あとだった、とか横に並べて比べないでしょ。ただ単に、未来である現在から、当時の音を「アーティスト単位で一本釣り」して聴くだけだから、「こういうものだろう」と思うだけだから、同時期他者と比較して、ちょっと古いとかダサいのではないか、みたいに気にならないのよね。時代が一周りする、というのは、こういうことなんだろうね。面白い。

 

というわけで、けっこう俯瞰としていろいろ把握できたので、ちょっと気分転換もあり、あらためて日本(本人選曲)ベストを聴いてみた。…やっぱりつまらなかったw
やっぱりこれ、どんだけUS版の選曲が素晴らしかったか。ってことに尽きるのでは。そこに本人も気づいてて後期は自らそういう形に整えていったんだろう。と思うほかない。私的には、これはもう絶対に言いきれるけど、今回US盤を聴いてなきゃこんな好きになってないです。取捨選択って大事なんだなあ。
ちなみに日本版ベストというのは現役時代に出した3枚のことです。パッケージもオシャレで売れたと思うし内容的にも当時のベストだと思うけど、あれがベストなんだとしたら、僕にとってはまったく「ベストじゃなかった」んだなあっていう。そら、当時は興味ないはずだわ、と思いました。

 

そもそも忘れがちな視点として、ピチカート・ファイヴと「それ以外」の渋谷系とされる人々って「世代的に一廻り違う」んですよね。だから他に比べてピチカート・ファイヴの場合は、気を抜くとすぐおっさんセンスになってしまうというところなんですよ。だから必死だったんだと思う。そういう点がいま聴くと面白くもあり、また微笑ましくて聴いてて気が楽だっていうのはあるな。その気楽さを今回発見したんだろうな。

 

そう、だから例えばピチカートでおっさんラップとか入ってるけども、既に同時代にはJPOPにも DAYONE とか Geisha Girls があったので新しくもないうえポップでもないという半端な位置付けになってしまってたと思う。なので、あくまでピチカートしか聴かないような「なんでもデパートだけで済ます」ような層向けの内容なのよね。アーリーアダプターは専門店に行くし、一般ポップ層はデパートなんか行かない、みたいなところ。で、それに抗うには結局は楽曲勝負するしかない、ってことに後年の小西氏が気づいたということでしょ。虚仮威しではもう無理なんだと。
そう考えていくとピチカート好きの人々が総じて「初期だ」「中期までだ」とか言ってたのもよく分かる。(世代から言っても)80年代のほうが圧倒的に新しくて冴えていたわけですね。だれでも20代とかはそうです。そらソッチのほうが面白いでしょ。聴く方の世代も同世代なんだし。刺激的でワクワクして聞いてたと思うなあ。それはわかる。でもそれはあくまでギミック優先の新しいアプローチだっただけの話で、90年代以降になって、そこで他者に負け始めて存在の意味を見失ってからは、音楽としての本質を極めていくしかなかったということやね。

 

さて。そもそもUS版がなく、どうせネタもんやしマキさん歌ってないし。と思ってヘビロから除外してた最終アルバム「さえら」を久々に聴いてみたが(前も1回聴いただけ)、えええこれってオリンピック閉会式やん!!ってすごいびっくり。林檎チームがやりたかったのは、これのブラッシュアップだったのだ!
もともと椎名林檎ってピチカート・ファイヴを意識してたところが以前からずっとあって、それも露骨ではなく、さり気なく紛らせる形で踏襲してるような巧妙なところがあって、これは彼女の「リスペクト」なのか「揶揄」なのか、測りかねているところがあったけど*3、今回の件でわかったのは、どちらかというとリスペクト寄りの捉え方をしてたんだなと。
前も書いたが、かつて渋谷系という雑なククリでフォロワーや、フォロワーですらないような周辺ムーヴメントが消費されてたけど、実は一番、敬意を表する形で継承したのは林檎だったのだと確信を持ったよ。
実はその話は、先日の長崎で高彰氏としたのであった。彼はしきりに「サエラの形が閉会式じゃないですか。あれこそクールジャパンじゃないですか」と言っていたのだが、そのことが今回すごくわかったのだった。すごいすごい。

 
<そして。US版全曲プレイリストをリピし続けて新たに気づく>

流れは96年を境に変わるのね。ひとつにはマキさんの産休というのがあったのだけど、小西氏のプライベートもちょっとあったらしく、それが95年〜96年あたりの暗めな展開になっている。あと意外に誰も指摘しないんだが、95年は阪神淡路です。リリースからプロモーションから日本中のアーティストが計画変更を余儀なくされたし、なにより衝撃だったから、それが作品やその公開方法などに影響がないわけがなく、それが95年の音楽性になってると思う。
それ以降グッと流れが変わって、それまで海外版は独自コンピだったのが、日米でほぼ同一内容がリリースされるようになり、だんだん言いたいことが一つに絞られてくる、という後半への展開になってくるのね。

 
<日本版プレイリストの作成>

2chのまとめスレッドやネット上のレビューなどで、あまりにみんなが初期初期うるさいからさーw
US版にセレクトされなかった小西曲を中心に「日本版プレイリスト」を作ることにしたのですが、そのセレクトを「最新型の」から開始することにして、数日前に組んで今ずっと聴いてる。うん確かにアイディアも曲もまだ芳醇。後期とは違う意味で。
僕が日本版の方を嫌だった理由の一つは「どうでもいい穴埋め曲が多かった」ということがあって。ちょっとダサかったり、ネタものだけど古かったり滑ってたり、みたいのが、いい曲の合間に何度も出てきて、これスゴい邪魔!っていうことだったのな。
今回、自分セレクトだからそういうの排除してスッキリさせて。そうしたところ、US版から除外された曲ではあるけど、それでもそれなりに選抜セレクトみたいになり、US盤風味になったのがおもしろかった。
たぶん初期ファンの人は、こういう「邪魔な埋め合わせネタモノ」が、本来なら高浪さんとかがいい曲で埋めてたんでしょ、みたいなことを言いたいのではないかと思うのよね。
たとえばグループやってた人が解散してソロになって。まあ桜井和寿ミスチル)みたいにワンマンなグループは別なんだが、バンドメンバーが分担して曲を書いてた場合、ソロになると、アルバム1枚分「全部自分担当」になるわけでしょ。今までの倍の曲を書かなければいけないとかになるわけで*4。バンド内作家が減ったりソロ活動というのはそういう弊害があって、とてもじゃないがアルバム全曲は聴き通せない、みたいなところに陥るのね。
で、高浪さん脱退後の小西氏も単純にそういうことではないのか、と思ったな。だから邪魔なものを外して曲を半分くらいに絞ったら、それはクォリティはあがるでしょ、ということでもあった。


ところが。
彼がスゴいのは、最初はそうだったのに、後期になって「それを挽回したこと」なんである。特に98年以降の怒涛の勢いは凄まじく、そこは単純に素晴らしいと思った。

これについては、また後半で改めて触れる。

 

<その後>

リミックスやら増やして日本リリースプレイリストを充実させ聴きまくっていました。

そうして今やっと、再びUSに戻ったのですが…。本当にホッとしています。いやー改めて本当に素晴らしい選曲だと。

US版の選曲の素晴らしいところは、もちろん選ぶ曲もそうなんだけど、並べ方なんやね。特にいま改めて聴き返した思ったのは、アルバムの1曲めと、その後の畳み掛ける選曲。この素晴らしさだと思った。日本もの、つまりオリジナル仕様は、どれも「アルバムのオープニング」が弱い。なんか、その後まで聴き進んでいこう、というような魅惑にとっても欠けていて、なんかダラダラ続くから、途中で「もういいわー」ってなるんやけど、USセレクトはまったくそんなことがなく、出だしからどんどんリスナーを引っ張り続け飽きさせない。なんで小西氏はオリジナルでこういう作り方ができなかったんやろ。と思ったな。
その後は、ラスト2枚(さえら除外)について、国内版とほぼ同一なんだけど、それぞれ2曲くらい外してある。その外された曲というのが、とってもつまらないw 曲なので、外されて大正解で、そういうとこの甘さっていうんかなあ。手癖で作るものは、やっぱりバレてしまうのなあ…と思ったな。ひとつひとつ、過去をなぞるんじゃなく、しっかり作らないと。そこは如実に成果として現れるんやなあと、大変勉強になりました。

 

<ノミヤ時代の総括もだいたいおわりソニー時代へ>

オマエラがこぞってよかったよかった言ってる初期ピチとやらの小西を再検証してやろうじゃないの、と思いまして、初期4枚から小西曲だけ抜き出して聴いています。
USの充実ぷりから、小西氏は最後にやっとプロ的に完成したのだ、と思ってましたが、初期物から小西曲だけ抜き出して聴いてみると、あら不思議。こっちもそれなりにいいではないか、と気づいたところはあったな。ただ、これらの曲全部ノミヤさんでリメイクしてほしい、とは思った(幾つかはされてる)。

初期の難しい点というのは、ともかく歌が貧弱で、曲ごとの区別も付けにくく、メロディもわかりづらく、アルバム全曲聴くのが苦行になってしまうことだった。2枚めからは田島さんではあるけど、当時の彼もさほど魅力的なわけではない(よさが発揮できてない)。だからどのアルバムも、まーーったりどんより過ぎてしまって、ちっとも内容が判らなかったのだった。
それが、小西曲だけ抜き出す=聞く曲を絞る、という行為によって、集中することが可能になり、1曲ごとがちゃんと掴めるようになったのだね。そうすると、ああこれは悪くない曲だ、ノミヤさんに歌ってもらえば。などという感想が新たに出てきたわけです。
初期は歌のせいだけではなくて、作家が4人もいることも「どうも取り留めがなく掴みどころがない」という印象に拍車をかけてると思う。高浪さんも田島鴨宮も悪くはないのだが、どうしても印象がバラけてしまい、とらえどころがない。
そういう意味では、コンセプトを決めてるのが小西氏だろうから、その失敗とも言えるんだろうけど、まあでもやっぱり極論すれば最終的には「歌さえマトモなら」悪くはなかったんじゃないだろうか、という結論な気もしたな。
佐々木麻美子さんや田島ファンが居るのはよく分かるし、僕もそれぞれは嫌いじゃないけど「このコンセプトの中では二人とも活かすのは難しかった」んじゃないかと思う。
まあ、そんなことを言えるのも、後のノミヤブレイクがあり、それを既に僕らは知ってしまってるからで、そんな未来を知らなかった当時としては、これでも十分、画期的ではあったのだろうと思った。


それからもうひとつ重大な点を。小西氏は一貫してまったく変わっていないですね。

 

補足だけど、歌について言ってるけど「マトモならいい」とは言っても、歌い上げるヴォーカリストがいい、と言ってるわけじゃない。特にこの音楽には汗は要らないわけで、そうじゃないヴォーカル、しかしちゃんとメロディアスに歌える、というと当時は見つけるのは容易じゃなかったと思う。
最近、佐々木麻美子とマキノミヤが同じ曲を歌ったのを比べて聴いて気づいたのだけど、「歌が上手くなく聴こえる」歌い方って「調性を感じない」ということなのだと。つまり声量や表現力ということではないと。もし声量や表現力で決まるなら、そうではないウィスパー系はみんな下手ということになってしまう。そうでなくて、いちばん大事なのは「歌い方に調性があるかどうか」なのだと。この気付きは新鮮だったな。

 

ところで、US版から漏れた選曲で、2曲だけ「これはUSにセレクトしてもいい完成度では」と思ったものがあったのだけど、そのどちらもサンプリングでビートルズ音源を使ってて、たぶんコンプライアンス、というか単純に使用料的にムリだったのだろうと想像した。

小西氏のスゴイところは、例えばこういう場合に「使えなかったかー。残念」というところで終わらずに「じゃあ同じネタで新しいのを作り直す」と考えたところで、実際にその使用できなかった楽曲と似たモチーフで、別な曲を作り直してるんだよね。
これに限らず、全時代を網羅して聴いていくと「同じモチーフが何度も何度も使用され」て出てくる。
普通はこれで「ネタ切れ乙」となるところ、それを「統一感」という持ち芸に昇華させたところが小西氏のスゴイところだと思ったね。ココが初期ファンは納得出来ないのかもしれないが、僕的には、これこそ彼の持ち芸だと思った。
これ他にも例えば、既発曲に不満があったとき(アレンジを詰めきらなかったとかヴォーカルが不満だったとか)でも、彼の場合はリベンジとして、それをリメイクするのではなく、同じネタで新しいのを作り直す、ということなのだと。つまり過去の作品を、「報われなかった時点で習作扱い」してしまい、次々葬っていく、というような。

だから極論すると、小西氏の作品は全部「形を変えたリメイクである」とも言える気がした。

前に言ったが、プレイリストでずっと聴き続けると、全曲で1曲、みたいに聴こえるというのは、つまりこのように何度も同じようなモチーフが出てくるからで、これはクラシックの様式として「ソナタ形式の再現部」ってのがあるんだけど、そういうことなんだよな、と。それを数年単位で行うのがすごいよなと。つまり「コンセプトアルバム」というよりは「コンセプト全活動」というようなものなのだと思ったな。
そうして「もうネタ切れか?」みたいに思われる寸前のギリギリまで引っ張って、もうないわというところでスパッと解散した、と。なかなか潔い。なるほどなあと思ったね。

 

渋谷系の始祖研究で、実は80年代から既にそれ系の萌芽みたいなものはあった、と言われてるけど、実際にその通りなのですね。マイナーな音楽雑誌や、東京ローカルな情報発信メディアでは、定期的にそういうアーティストが出て来ては、いつの間にか消えていた、ということが繰り返されていた。そういう中で生き残ったのが、サロン・ミュージックとかカヒミだったわけですが、実際にはその何十倍も当時ああいう方々が居たわけです。
当時の僕は、今ほどそういう「雰囲気もの」を嫌ってたわけじゃないのよね。おフレンチやソフトロック的なものは興味があったし、雑誌でそういうものが紹介されてると積極的に聴いたりもした。しかしどれもこれも、ともかく「ウィスパー系」を勘違いした「ど下手な」歌ばかりなうえ、曲自体も「雰囲気もの」というか「雰囲気のみ系」で、音はそういう感じに出来てるけど、曲がまったく形になってないとか(作曲セオリー的に)ヒドいレベルで、中身が伴ってない、パッケージだけで騙す商法か!と思ってかなりの落胆があったのね。
そういうわけで僕は何度もそういうのに騙されて、ああ日本じゃこういうジャンルはダメなんや…とスッカリ諦めたところだったのだな。
で、麻美子ピチカートも、そういう点ではまったく同じで、もしあれを当時聞いてたら、そういうもののうちの一つとしか聴こえないと思う。アレンジはごっつカッコいいし演奏もいいけど、歌も曲もダメダメで話にならない、と思ったのではないかな。
「日本人は歌がよくないとダメな民族なので云々」という話はよく「批判的な意味で」うるさ型批評家が主になって今でも言われるけど、アホかと思う。世界中どこでも「歌はちゃんとしてる」わ!外国人のヘタウマと日本人のそれは、まったく音感のレベルが違ってて、それはこないだ書いた「調性がない」ということにも繋がるけど、一緒にされちゃ困るんです。
そういう日本人の音感的な劣勢部分が、90年代になってやっと変化してきて、世界と比較してもちゃんとした音感になったのは、2000年代になってからのことなので、本当に今の音楽は安心して聴ける。
そういう日本的音感の進化を率先してノミヤマキで実践してたのが後期のピチカートだったと言えるのではないか。
小西氏も別に、好んで「下手歌 雰囲気もの」を作ってたわけではなく、野宮真貴さんのような歌手をずっと探してたが「初期には出会えなかっただけ」なのだ、と。そこは彼に対する誤解も僕の中で解けて、よかったのではないかと思った。

 

今日たまたまJPセレクトのラスト曲グッバイBABYアンドエイメンを聴いたあと、USセレクト頭から聴いたのですが、そうしたら、そこの1曲め、というかジングル「ピチカートマニアの皆さんこんばんわ。」というやつのBGが、エイメンのエンディングのオケのパターンとまったく一緒であることに気付き「!!!!!!!!」となった*5

…そうでしたか。USデビューの1曲めのリズムトラックとラストリリースの最後の曲のエンディング部分のパターンが一緒だった。と。始まりと終わりが同じものであるという、小西氏のケジメであると。
ふえー。ちょっとビックリした。すごい。

 

というわけで。

いろいろ振り返ってみると、千葉時代から長崎渡航後くらいまでの自分には、確実に当時の渋谷系サブカル文化に対しての憧れはあった。今の自分もたぶんにそれを意識した活動をしているけど、でも当時と同じ気持ちでやってるかと言われれば、それはちょっと違う気がした。
今の自分は、憧れてみているのではなくて、もう既に「中に入ってしまっている」のである。中に入ってしまったので、とてもスッキリして、やっと当時を俯瞰で客観的に見れている、ということなんじゃないかと思った。
おそらく今ちょうど「通り過ぎている」ところなので、たぶん出口はもう間近に迫っているのであり、そういう何か「いよいよだぞ」的なワクワク感が自分の中で産まれてて、なんだか楽しみだなと思う。

 

まあそういうわけで、ピチカートの全USAを網羅し、残り物のJPを補完し、あらゆるリリース物を集めて、おおよそ3年間くらい聴き続けたわけだけど、こうなるともうマニアの人の聴き方を完全に凌駕してしまって、マニア相手でさえ話が通じなくなってきます。
かつてのマニアだった人に、軽い気持ちで話しかけても、もうついていけない、みたいな対応をされることも多々。
ちなみに最近、ピチカートのどの辺がいいのか、などとマニアさんに尋ねることがあるんですけども、これがまたマニアの方でもちっとも具体的でなく、例えばストーンズ好きの人にどこがいいのか尋ねると大概「どこがいいとかじゃねえ。ストーンズいいぇーぃ!」などと返ってくるんですけども、ピチカートの場合も、それにほぼ近いんですよ。「おしゃれかわいい批評性いいぇーぃ!」なだけなんです。そうすると、もうそれ以上、突っ込んだ話とか出来なくなるわけよね。
こういうことは本当に何度もデジャブでして、知らないあいだに相手を超えていってしまって、勝手にこっちだけ新しい地平に達してしまうのですね。まあいうても私はクリエイター側の人なんでそうなってしまうのはしょうがないんだけども、一抹の寂しさはある。

ラストのラストの「さえら」リリース後に小西氏は「結局、届けるべき相手には届かなかったままだった」と言ったらしいのですが、その「伝いたい相手にちっとも伝わらなかった問題」というのは、こういう音楽では実にあるあるでして、その無力感との戦いと言ってもいい。解散の理由がそれなのだとしたら、それはちょっと切ないんやけど、まあでもあそこまでやったら、もうあとはないだろうし、そういう「もうこれで最後」みたいな場面で、結局伝えたい相手には伝わらなかった、と彼が思ってしまったのは、本当に悲しい出来事として、今後も永遠に残っていくだろうと思われた。

そういうことを今回の自分も追体験できて、そこはすごくよかったんんじゃないかと思ったな。

 

ピチカート全曲を3年間くらい聴き続けて感覚が変わったこともたくさんあった。

例えばフォロワー「ではなくて」、流行ってたから形式だけなぞったものとか、これくらいなら自分のほうがいいのが出来る、という意識の見える「同時代の類似作品」がほとんど聞けなくなってしまったこと。
いや確かに小西氏は楽曲力が弱かったので、同じ方法論でいい曲が書ける人のほうが圧倒的に「作品としてよくはなる」のだ。それに当時の僕は楽曲主義だったので、そういった作品の方を高評価していた。
ところが今あらためて聞き返してみると、それらのどれも「そうじゃない。そういうことじゃない」感があるのだ。いい曲ならそれでいいかというと、そうじゃないからねえ。
その辺が、さっき書いた小西氏の「届けたい相手に届いてない」という感覚につながってるんじゃないかって気がするんだよな。まあ彼にとって例えば僕なんかが「届けたい相手」だったのかどうかは知らないけども、少なくとも僕の中では「ずっと気になってたがケッと思って見ないふりをしていたもの」に、今度こそ真正面から向き合ってみようという気にさせられた、ということは大きかったのではないかなと思う。そして私の今回の新曲*6は、それへの回答でもあるのさ。

 
<マトメに入る>

ほぼ全曲揃えたとは言いましたが、カップリングとかで2〜3曲抜けてるぶんはあって、軽く視聴する限りそれらはどうでもいいカットアップだったりしたのでスルーしてたんだけど、たまたまYoutubeで発見した FaceB という曲がすごくよくて、えーなにこれ、と思ったら、スルーしてたカップリングのひとつだった。
さっそく中古ゲットしまして、壮大プレイリスト(日本版)の定位置に挿入。
そうしましたところ、なんとこの曲は位置的、というか時期的に高浪さんが脱退した直後に当たり、そのように意味深に考えると、歌詞の内容も曲調も何か送り出し調というか、僕は即座に「So Long フランク・ロイド・ライト」という曲を思い出し、あの曲のラストの「So Long」と何度も言いながら去っていく光景を思い浮かべたのである。この曲がポール・サイモンからのガーファンクルへの別れの挨拶だとすれば、小西氏のこっちも、高浪さんへのお別れではないのかなと。そういうインスパイアの乗せ方をしたのではないか、そんなことを思ったのだった。
そうして1曲加わったことで、壮大プレイリスト前半に新たなピークができ、またいっそう気持ちも入ってくるってものです。

 
そうしてずっと時系列プレリ聴いてると、小西氏って実は、どんどん周りから人が去られていく人生だったんだよなって気づいたのよね。そらどんどん世界観も暗くなるわな。このカップリング曲のときは高浪さんだけど、その前は田島貴男氏だし。

あとこれは個人的な印象だけど、ノミヤさん結婚後の小西氏からそこはかとない冷酷さが伝わってくるような気がするのよね。ちょうどその時期ハッピーエンドオブから一気に世界観が変わって垢抜けるんだけど(そこからノミヤ後期と考えられる)、そのぶん「プロ的な突き放し感」が加わるわけです。

完成度があがってくるのは、その時期以降から加わったアレンジャーとか打ち込みやサンプリングの精度の向上とか、いろんな要素があると思うけど、小西氏がそれをするキッカケは、そういうことがあったのではないかと。
つまり初期のように「勢いや熱さといった初期衝動で以って運営していく」のは難しくなり、逆に プロ仕事に徹する必要性が生じて、音的に音楽的にプロい仕事になった というのは、創作全般に於ける真理なのかもしれないなとかね。

そうすると、僕自身の創作ポリシー「自分の手癖をブラッシュアップした型として完成させる」というのとも繋がってくるわけだ。


この記事の頭の方で言ったけど、小西氏の作品には何度も使用される決まったパターンというのがあって、それが例えば活動全体を交響曲ソナタ形式)に見立てると「再現部」みたいな意味合いになっているのだと。
それが初期ファンにとっては「ネタ切れ。何回も同じパターンで飽きた」という批判になってるんだけど、僕は逆に「それこそがピチカートの面白いところ」なのだ、と思ったということだね。ピチカートはノミヤさんの結婚によって「生産工場」化したということができる。


実際に今現在、いわゆる「ピチカートの音」とされるものは、ほぼ全部この時期以降のアレンジなのである。1997〜98年に所謂「小西サウンド」が完成した。そういうことなのだと。

*1:高浪慶太郎 feat.PIZZICATO FIVE

*2:ところがサブカル界隈、地下アイドル界隈では現在も絶大な人気を誇ります。アイドルヲタという層がどのような嗜好なのかよくわかります。

*3:新宿系自作自演屋などと自称するし

*4:たとえば小田和正オフコースの関係のような

*5:バーナード・パーディ風のドラムループ

*6:ミルクのマイデステ

久我美子さんと接吻について II

さて。今度は1957年。北海道釧路を舞台にした映画「挽歌」ではどうでしょうか。今回のお相手は森雅之さん。これまた色男なのですが…。個人的にはこちらには然程エロさを感じないのです。元々がダブル不倫をテーマにした内容で、久我美子さんも「試し行動の多い」屈折した女子という役柄なので、会話や態度が突っ掛かり気味で、あんまりロマンティックではない感じがします。

 

とりあえず最初から行ってみます!

 

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久我さんが憎まれ口を叩いたため森さんが怒る。そして…。

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口封じでいきなりの接吻。ちょっと強引。

これがキッカケで交際(と言っても不倫なんだけど)が始まり。温泉へ行く。

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乞えたり甘えたり。

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ココはちょっと甘美な接吻。ふたりとも素敵です。

出張先の札幌まで訪ねていきます。

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よしよし。甘えられるのはオジサマ相手ならでは。

そして場末のラブホテル。

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こんな場所じゃ嫌!と言うのをまたも無理くり。

 

こんな感じですのね。ココでの久我美子さん、確かにきかん坊な役なんですけど、それにしてもオジサマである森雅之さんがどうも強引で、オトナの余裕があるというより、ナメてる感じがあるんですよね。そういう点で、前回の「また逢う日まで」よりは、当時の男性の願望が現れてるキャラなのかもしれませんが、しかし実は、この原作の小説「挽歌」の作者は原田康子さんという女性なのです。彼女がこれを書いたときは28歳くらい。どうなんだろう。いろいろと深読みできそうではあります。ちなみに小説の方もスゴくおもしろいです。映画よりもっと濃密に人間関係や真理が描かれており、消化不良感はありませんのでオススメ!

 

最後にこんなシーンを。

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実は久我さん、スモーカー。鼻から煙ぷかーっと出します。すごいw

 

今現在 映像ソフトは廃盤。

小説売ってます!

 

挽歌 (新潮文庫)

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久我美子さんと接吻について。

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このジャケ、見覚えある方もおいででしょうか。窓ガラス越しのキスで有名な映画「また逢う日まで」。このお二人は岡田英次さんと久我美子さんです。1950年の映画。戦後まだ5年です。ですので映画で過激なシーンなど禁物。だからソフトに「ガラス越し」となったわけですね。きゃーロマンティックだわ!

 

…などと思ったあなた!いえ。私もなんですが、なんとこの映画!本編後半に入りますと、ガラス越しどころか!本物の!口と口の!熱烈な接吻シーンがこれでもかと出て来て、腰が抜けるほどビックラしました!そしてこれがまた「エロい!」んです。久我美子さんエロい!なんだこれは。

ちなみに私の持論。「セックスでいちばんエロいのは接吻」と常日頃から言っておりますが、まさにこれこそが「それ!」です。

 

じゃあ。惜しみなく行きます!みんなも行っちゃってくださいね!

 

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戦時中。ほんの束の間の逢い引き。

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帰り道、空襲に襲われ逃げ惑いながら抱き合う二人。

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私帰らないと…。その前に!

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おっと人が見ているわ。

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じゃあまた…。

翌日。彼女の家にて。

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ボクはあさって出征するんだ!

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そして押し倒し…。

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行かないで…。行か…ない…で。

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岡田英次さんも顔を愛撫しまくりでエロい。

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あした…最後に…逢いたい…

そして翌日(おまけ)。

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なんと!お着替えシーンまで!

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最後だから。お花を刺して駅に向かいます。

 

ここまで。

戦争が生んだ悲劇を綺麗に切なく描いた名作です。このあとどうなるのか。最後わたし泣きました。ぜひ本編も見てほしいです。

それにしても久我美子さん本当に素敵。そして、こんなエロい接吻される方だったというのが、ものすごく意外でした。1950年。昭和25年ですね。当時の日本はまだGHQ占領下です。そのGHQの方針「開かれた日本」にするため、映画にも「こういうシーンを」というような空気があったのでしょうか。おかげで、ふんだんに接吻が盛り込まれ素晴らしい作品になったのですね。感謝しないとだわね!

 

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