恋する段差ダンサー

ハイクの投稿をまとめて記事にしていました。

圧迫から逃れるための表現活動は「肉体的反射」でなければならない。という話

今の僕の信条として「肉体的反射を最優先する」というのがあります。以前も長々と書いた覚えがありますが、もう一度、そこの考えに至った経緯を、ろくでなし子さんの事件と合わせながら振り返ってみたいと思います。

常々、90年代が僕にとっての青春だった、と言っているけども、いろんな理由やきっかけがあってそうなったんだけど、一番の大きな理由は、引越しで環境や人間関係が変わったことじゃないかって思ってる。考え方や見方も変わるし、話す相手が変われば(いなくなれば)、思考のパターンが変わるんだよね。街の外れに一人で一軒家住まい、というのは、思考を邪魔する相手がいないから、ゆっくり熟成できる。ということ。そんなときに出会ったのが、この本。
「快の打ち出の小槌 〜日本人の精神分析講義〜」佐々木孝次+伊丹十三・著(1980年)

いまではトンデモ科学な感じもするけど、当時はこういうことを「ちゃんと」言う人が居なかったので、とても貴重だった。これと、前に書いたインディアンの話は、今の僕にとってはすごく大きいでしょうね。
これを読んで、それまでの社会がなんで自分にとって居づらかったのか、すべて腑に落ちた。これじゃあかんな、自分はナントカしないと、と思ったのが、創作活性化に繋がったと思う。同時に、世の中の変化がなんとなく体感できるようになって、ひょっとしたら頑張ればいい時代になるかも?みたいな期待感もあった。その、ある種の高揚感が、僕の創作意欲を駆り立てたのではないかなあ。
ちなみに、これらの本に出会ったのは、レコーディングの仕事で滞在することになった、とある一軒家。家の持ち主は、クラシック界ではそこそこ有名な作曲家さん。その家も、埼玉の山奥の一軒家で、今思えば「思考しやすい」環境だったかも(自給自足してたらしい)。
レコーディングというのは、準備があらかた終わると、リハとか打ち合わせの時にはあまりすることがない。で、その作曲家さんの書架を物色してたら、こういう本が目に付き、なんとなく手にとって読み始めたら、ハマってしまった。
私、それにあまりに感化されすぎて、こんなことやってる場合かっ!と目覚めてしまい、そのレコーディングは放棄してしまいましたw 当時の彼ら、怒ってるだろうねえ。スマンとは思うけど、自分の創作のほうが大事だったんだよね。しょうがないw

で続きなんだけど、レコーディングで滞在先の家にあった本読んで、その仕事を放棄して返って来た、という話だけど、まあ他にも細かい理由(ギャラが払われる気配がなかったなど)はいろいろあるんだけど、まあともかく放り出してきたわけです。それまでの僕は、自分が不本意なことを、ちゃんと嫌だと主張するとか、何かを断るとか、そういうことが出来なかったヒトなんです。断ると悪いんじゃないか、と思って、しぶしぶ付き合うような人だった。ココで初めて、嫌だから去ろう!って強い意思表示をしたの。それも「すいませんけど…」などと言うのが嫌で、というか怖くて、若者がバイト逃げるみたいに、ただバックレてきたんだよ。そんで逃げ切って、ああ逃げられた。。逃げられるんだ。。って思ったの。嫌なことからは逃げられるんだ、逃げていいんだ、と思った最初の出来事だったのね。
ここからはすごい反感買うと思うけど、僕はそれでコツを掴んで、嫌なことからはさっさと去ってきて縁を切る。という行動を繰り返すことになった。もう要らないと思った相手は平気で踏みつけにしたし、あんまり相手が聞き分けがないクライアントだと、ではもう結構ですので、というメール1本で断ったりしたんだな。
なので、今僕が、誰も判ってくれないとか、ひとりですよ、などと言っても、それは自業自得なんだよ。結局、絶妙にフィットする相手以外は、おまえ要らんって捨ててきた人生だったの。だから今こうなってる。
そういう酷い私に、代わりに与えられたのは、親しみやすい人となりと親しみやすい曲を創る才能だろうと思う。それのおかげで、縁が繋がっている。これは本当に神様(か誰か)に感謝したいと思てます。でもそれらも、幼児期のネグレクトと引き換えにもらったものなんだけどね。

この続きは、以前ブログで書いたことの繰り返しになるけど、キャバレーの仕事で、音楽演奏とは肉体的反射である、ということを悟った、村西とおるのAVを見て、お互いに100パーセント開いてこそ、得られるものがあると悟った、など、自分の心にあった熱い壁が取っ払われ「裸になった」という経験をしたわけですね。
この「厚い壁」っていうのはなんだったんだろう。それは、ネグレクトによって常に周りの人々に憎しみと対抗心を抱くようになり、「オレはすごいのだ。おまえらはクズだし、どうせわからないから本気なんか出してやらない」というプライドのみで、なんとか生きてきた、というようなことが、それに当るかもしれない。

うちの父の「ネグレクト」というのは肉体的なことだけでなく、精神的なこともかなりあった。僕は常に「説明と理由」を求められ、それができないと、長時間にわたって罵倒された。完璧でなければ許してもらえず、僕はそれが足かせになり、何事もマトモに出来なくなった。その辺は、最近伝わってくる佐世保事件の一家の様子と、まったくそっくりで、僕の中ではとても被る。ぼくは「ヒトを」危めたいなどと思ったことはないが、昆虫などに対しては、ずいぶん残酷なことをやっていた、というイトコの目撃談があって、なるほどなあ、と思ってる(自分じゃやってないんだけど、天敵どおしを戦わせたりしてた)。

で、ちょうど世の中が渋谷系などという時代になり、それまでの一般人は名前も聴いたことがないような超マニアックだったりマイナーなアーティストのCD(昔のレコードの再発)がどばどばリリースされるようになった。音楽マニアの間で、そういう歴史や、過去のアーカイブにどれだけ詳しいか、ということの競争のようになり、ハンパなことでは何も出来なくなったのね。ちょうど今のネットと同じで、常に反論されたり突っ込まれたり叩かれたりすることを覚悟しなければ、音楽活動が出来ないような状況になってた。
そういう状況が、ちょうどぼくが父からされてたネグレクトのようなことと自分のなかで被るようになり、だんだん絶望感が占めるようになっていったのね。
そういう90年代初頭に、キャバレー、村西とおる、ホテル業、そして伊丹さんの本、というようなことがあって、インディアンの本があって、湾岸一軒家への引越し、という出来事があって、まあその辺をいま振り返れば「いつ何が起こってもおかしくない」というような状況だったんだなあと、思う。その「何か」というのが悲劇的なことでなく、「曲作りでブレイクという結果になったのは本当に本当に幸運だったとしか言いようがないけどね。
で、キミ好きソングと夏休みが出来た時、「こういうことか!こういうことなのか!」とひとりで言いつづけた、ということがあったけど、つまり肉体的反射である、というのは、楽器演奏だけでなく、曲作り、という創作物でも同じなのだ、と悟った、ということになるんじゃないかな。
いろんな芸術形態、主張があって構わないし、自由なのだけど、何かに対して説明責任があるとすれば、所謂「作家業」っていうひとについては「作品そのもの」が、その責任を果たしてると、「僕は」思う。それは、そういう過程を経たからだね。あの2曲を発表した時、それまでごちゃごちゃ突っ込んできた周りの連中も、誰も何も言わなくなったよ。それは、僕が「何か言ったから」じゃないよね、あの2曲の説得力がハンパなく、説明不要だたからでしょ。あの時点で「表現というのはこういうこと」という真理を掴んだんだな。だから、その後は、僕もごちゃごちゃ薀蓄を言わなくなったよね。すべては作品に含まれている。というのが答え。

それでも2000年代になって、いくつかの音楽研究文をネットにアップしたのは、やっぱりそれでも僕の音楽に突っ込んでくる「うざいおっさん」は多かったの。ずいぶん叩かれたし揶揄もされた。さっき、回りは誰も言わなくかった、と書いたけども、それはそれで過去の連中であり、また新しい人々はどんどん来るからね、それが公で作品発表する、ということなんだけども(それを覚悟するのが創作業)、そういう「説明責任」を求める声に対して、いちいちうざいからね、ああいう長文を書くことで、「そういうことでしたら、コチラをお読みください」ということで、解説を用意した、ってことですね。そうすれば説明は一度で済む。

愛とは肉体的反射である、ということ。たぶん、その肉体的反射のほうが先で、それが脳の方に影響を与えて、感情が芽生えるんじゃないかと思う。村西のAVにはそれがあったし、すごく判りやすく映し出されていた。村西も人間的には「ずいぶんな方」らしいですよ。暴力表現などもあるし。でもそれを補ってあまりあるものを僕は得たわけです。
それをまんま音楽に当てはめられると僕は気付いて、その実践がキャバレーだったし、ホテルでの接客だったし、そして曲作りだった、ということ。常に僕は、脳内に湧いてくる「周りの否定的言葉」を必死に抹消し続けながら、肉体的反射に拘って創作作業を続けたの。そういう意味では、曲作ってるという作業は性行為と同じだと思える。自慰じゃないよ?じゃないの、脳内で空想の誰かと常にエネルギーを交換してるわけ。相手が居るわけ。だからこそ、今の僕の曲には人間味があるんでしょ。音楽は研究論文じゃない、デジャブ的な肉体的反射を促す触媒なのだ、ということなんだよね。

ということで、長々語ってきましたが、実は、こういうことを振り返って考えてみようと思ったきっかけの事件があったのです。

ろくでなし子 on Twitter: "(´-`).。oO(ここでわたしが「田嶋先生を貶めるあの人はひどい!」と一緒になって「抗議」すれば満足していただけるのだろうか…フェミニズムの思想とは、いろんな考えのいろんな人達がいて当たり前でみんな対等って事だと理解していたのだけれど…"

これですね。あの人も言い方が悪いので、反感買うようなことになったけど、何らかの主義というよりは、ただアレが自分の表現だから、好きにさせろ、と言ってるだけだと思ったんですよね。たまたまフェミ的なものとカブってたから、そういう人たちの支持を一瞬集めたけれども、そもそもそんな主張ではない、と思ってます。これはオノヨーコも一緒。言いたいことがたまたま何かの主義の人たちと被ってたが、自分の表現は、極めて個人的なことだよ。それを認められているだけで。ろくでなし子先生もそう。アレが個人的な主張なだけで、ごちゃごちゃ言われたら、やかましわ、じゃああんたらやってみろ、って言いたくなるのは、それは表現者である自分を優先してるからだね。やっぱり何らかの表現活動、しかもそれが芸術分野とされるようなことならば、何かの代表ということよりも、自分のしたいことを優先していくでしょう、と普通に思ったわけです。
実は私も、評論家的なことをごちゃごちゃ言われるのは嫌いで、「じゃあお前やってみろ。」とつい言いたくなります。これは禁句なんだよね。言っちゃうと相手が返せなくなるから。でも言いたくなる。このへんの感覚がなし子先生と同じだな、と思った。

パフォーマーと学術者ってちがうからね、矛盾があったり勝手だったり、ダブスタがあるのも「仕様」だと思うんだよな。本人はそれに文句言われる筋合いはない。認められるか、られないかの違い。
だからと言って、弱者とかのことを考えてないわけじゃないと思うよ。でも、そういうのの代弁者のつもりはない、ってことだと思う。勝手に期待されてガッカリされてもしょうがないよ、ってことだね。*1

最近、僕らの間でよく話してるのですが、例えばネットで「歌手募集」的な告知をすると、大概は「病んだ」子が来るよねー。と。これはネットじゃなくても、そういう傾向ある。
まあ今までもブログなどで書いたけど、いろいろと酷い目には遭いますw ドタキャン当たり前だし、変な相談とかトラブルも持ち込まれる。人格的に問題あり、話すのが困難な相手とかもいる。
しかしまあ、そういうコミュ障てきな人たちと接するのも、ある意味仕事なんですよね。っていうのは、そもそも芸能とか歌手を目指すとか、そういうことを考える人は、どこか普通じゃないわけですよ。なので、そういう意味では、僕みたいな仕事は駆け込み寺みたいなことでもあるわけです。
でね、例えば今まで書いたような過程があって、僕自身が開かれて自分の思った自由な活動が出来るようになった。と。じゃあ、かつての自分みたいなひとたち、マイノリティみたいな人たちのことは全く考えないでいいのか、自分だけが勝ち抜け逃げ切りでいいのだろうか??って、正直思う。
でもね、こういう活動を続けてきて思ったのは、そんなことを無理クリ実行しないでも、例えば、歌手志望の病んだコなどを相手にして、何某かの行動を一緒にすることで、それはその子が一瞬救われてるわけだ、と(同時に自分も救われている)。そうすると、自分の活動や生んだ作品も意味があるではないか、と思うわけです。
また、そういうことの出来ないひとたち、そういう人たちにとっても、その生まれた作品などによって、救いになることがある。というのは、最近特に思うのですけど、アイドル曲などを観たり聴いたりして、毎日が楽しいだの、嬉しいだのみんな言ってるんですね。これって、作家冥利に尽きる、というほどではないけど、ああ少しは役に立ったかねえ、とは思うよ。そういうことで、表からは見えてないけど、潜在的に何らかの救われるカタチになってることがたくさんある、ということなんだな。ろくでなし子先生のまんこで救われてるっていうヒトもいるでしょうし、それでいいじゃん、貴女の役割はそれでいいでしょ、ということですね。弱者のことを考えてないというわけじゃないんだ、それぞれの役割があるだけなんだ、ということなのです。

で、なし子先生の話が展開していきます。

どく on Twitter: "@6d745 それは失礼しました。大森氏の件は大半が抗議の声だと思うのですが、なし子さんには「文句」に見えるのでしょうか。「なにも行動しない」と言い切る根拠はなんでしょう?不自由だおかしいと思ったことには皆それぞれ行動してますよ。抗議、署名、デモ、カンパ…全て‘‘行動’’です。"

これはまったくそのとおりで、バブル経験者はとかくマッチョで、「ちゃんとした」発言、作品、パフォーマンスでなければ意味がないと考え、それができない「今の」若い子は元気がないと、とかく言いますけど、もちろん、そうではない「草の根」活動も地道に重要で、それがある一定の値になった時に、キャズム超えということで、なし子さんみたいなことが必要になるのではないか、と。
例えば僕がずっと言ってる、策士、とか、ちゃんと真面目にやってるアーティストと、芸人との違い、みたいな事にも繋がっていくでしょ。まんこ「芸人」はそれはそれで素晴らしいけど、その前に地道に抗議などし続けた人たちのことを「おまえらは行動を起こさなかった」とかは言えないでしょ、というのはそのとおりと思います。
目立つ旗を揚げてれば、それは応援しやすいし、わかりやすいんだけども、自分だけがそれをしてる、ということではないね。

で、結局、大雑把にまとめてしまうと、大森なんとかさんの「田嶋陽子」Disにしろなんにしろ「業界なんか所詮、未だに旧価値観であり、男尊女卑であり、置屋なんだ」ってことで、終了なんだなと思った。表面上は、僕が常日頃から言ってたように、新しい価値観にあったように思えてましたけど、実際は、水面下では変わってなかったってことなんですね。

では、僕はなんで「時代は変わってきた。よくなってきた」と思っていたのでしょうか。それは、周りの旧価値観を排除して生きてきたからですね。排除、ということは、例え存在してても、まるで無いかのように見えなくしてしまう、ということです。不快だから、そんなものは存在してません、と「してしまう」んです。そのほうが楽だから、ですよ。「自分の周りには無い」=「ようやく日本もよくなったなあ、と思い込む」です。それが僕の「生き抜く方法」。ハックだったということです。
つまり、そう逃げたということよりは、そいうことでしか、生きのこれなかったんだよ、だって嫌なんだもん。僕が不快な価値観は、もう消えてしまった、なくなった、あたらしくなった。そう思いこむことで、僕もナントカ生き延びたの。それしか希望はないんだもん。ねえ。

例えば、わたし大森さんなんか知らんけども、彼女の田嶋氏Disというのは、オレが「桑田佳祐ははっきり言って迷惑だ」って言うのと同じようなコトなんですね(実際嫌い)。彼の功績や実績、彼のお陰で変わった事はたくさんある。それでも、いつまでもあんなヒトが君臨して説得力あったりするのは、もういいです。そろそろ「上がり」ってことでお願いします、って正直、僕は思ってる*2。反抗期であり中二病であり、そこを経ての次があるわけでしょ。それは大森さんが言ってることと似てる気がします。

結局、そういう意味では、今もすごい不自由を感じてるってことなんですね。音楽にしろなんにしろ何かの表現て「自由」ということがその本質だと思うのだけど、どうもそうじゃない気がする。これは前に書いたとおり、僕自身も自作の歌詞に書いたように、業界と言うものもちっとも自由ではなく、何か大きなものに組み込まれて周ってる、と直観したんですよ。いろんな不思議なことがありました。女子であること、特定の宗派であること、何らかのコネクションがあること、などで優先順位が決まってて、純粋な実力のみでは大変難しい、とかです*3
で、このうちひとつめの「女子であること」が大変問題で、これが今回騒がせてることに繋がってくると思うのですけど、まあザックリ言うと「おっさん=ほぼみんな女の子大好き」なので「女子は優先して前面に立てる」ということです。ただし条件があり、もちろん気に入られることが最大条件ですが、それ以外に、おっさんにとっての理想的で優れた「代替表現メディアじゃなくてはならない」というのがあります。つまり、影に居る男性の言うことをちゃんと聴く場合に「限り」、表現する場と自由が与えられる、ということです。もちろんそうじゃない場合もあるのですが、それは極めて少数じゃないかなあ。これ、アイドルだけじゃないです。大人になってもアラフォーになっても老人になっても、女子である限り、男子に気に入られて、初めて活動できるのです。
その歪が、フロントメディアである女子自身に全部降りかかります。偶像お人形さんである立場が大好きな、置屋みたいなヒトなら、何も感じない、むしろ楽しんでするでしょうけど、そうじゃない、少しでも自分自身の意志がある女子は、相当なストレスになるでしょ。それでも、そこで生きていくハックとして、一生懸命生き延びなきゃならない。それはまるで、機能不全で崩壊してる家庭で生き抜く子どもみたいなものでしょ。そういうストレスに苛まれて病んできた時に、奇行したり外に向かって過激な発言とかするでしょ、ってことですよ。僕は、大森さんが何かそんなこと言った、と知り、あー、と思ったのはそこなんだよね。彼女は「そういう特殊な業界で生き抜くために適応した」のです。まるでホステスのように、ああ言ったわけです。そういうときに、表面上のことだけ捉えて、ただバッシングして何が解決すんねん!ということでしょ。そもそも、ああいうプロジェクトにはプロデューサーという代表責任者がおり事務所もある。不全家庭に於ける親だよ、それが。だから、何か文句言うなら、そっちに言えってことですね。
大森さんだけでなく、例えばなし子先生とかも、そういう旧男系社会の中で、生き延びていくというハックで活動してるのね。フェミの中では敵認定かもしれな くとも、そんなギツギツの旧社会の中では、思うように活動する短絡手段は、そういうことしかないねん!ってコトなんだと思う。
ショービジネス、あるいは芸術活動って、ポップであることが必要最低限な条件だと思ってる。そういう条件下で、この日本で、短い人生、自分したいことするには、今のところ は、そうやって男系に媚びるしかないねん。賢い、とかアザトイとか、そういうことじゃなく、本能として、それを選び取ってるんだろう、それは。次世代のために、そこは妥協するなよ、と言うヒトもいるけど、でも、例えばろくでなし子先生なんかアラフォーじゃないですか。自分の人生、終わってまうわ!って思うのは当然でしょ?って思う。だからね、役割がある、って僕は思ったわけです。能年みたいに問題提起するヒト、なし子先生みたいなひと、大森さんみたいなひと、他にもいくらでもいるけど、そういうのの総力戦で、20年後に変わっていくんだろう。それでかまわんやろ。ゼロよりは、0.001でも進化すれば、それでええんや。と。

なし子先生、さきほどアラフォーくらいじゃないか、と言ったけども、そうすると、ああいう活動をするには、大変なエネルギーが要った時代を生きて来ている。そうすると、自分らと比較して、若い子はおとなしいとか言ってしまうだろうけど、それは単純比較として、実際にそうなんだからそう言ってしまうのも当然だし、そもそも団塊ジュニアなんか人口多いんだから、大声で主張しないと意見なんか誰も聴いてくれない、という世代でもあるからね。その癖があるんでしょうね、今も。
あとは、僕がずっと言ってるように、好きなことするのに邪魔スンナ、という気持ちだよね。邪魔することが悪い、ということではなくて、文句言ってきたヒトに「うるさい黙れ」って答えるのも自由やんってことでしょ。その辺を僕は、似た立場として「うるさい黙れ、そこまで言うなら自分がやれ」っていう気持ちはすごくわかる、と思ったということですね。

というわけで、まあ、まとめて言ってしまえば、能年も大森も同じこと言ってるんだと思ってます私。どっちも、その旧態然とした業界でどう生きていくか、いろいろと考えてるんだと思う。一般社会には当てはまらないこともあり、その辺が怒りを買った部分もあるけど。あんな発言をするくらい歪んでて澱んでて病んでる世界なんだって、世間の人々もよくわかってよかったじゃないの。

最後に、僕自身のことを言うと、結局不器用でシングルタスクなんだと思うんだよ。器用にこなせるように脳がなってないからさ。かつて過去を踏みつけにして去ってきたとき、そうしないという選択肢もあっただろうとは思う。しかしそれでは、完全に切ることは出来なかっただろう。いや、「切る」必要はあったの?って思うかもだけど、あります、私の場合。完全に切ることでしか、次に進めないからね。だから無理クリにでも切る必要があるの。
かつてのレコーディングから逃げた時、東京から逃げた時、自分が変わろうと思ってるとき。過去のしがらみは、重たい服のように、身体に纏わりついて邪魔だった。さっさと脱ぎ捨てたいんだっ!とずっと思ってたね。だから、そういう自分の強い欲望を邪魔する相手は全員「敵認定」という感じだった。そういう意味じゃ、僕も、例えば大森さんみたいに、当時もずいぶん誰かしらDisりまくってたんじゃないかしら。相当嫌な奴ですよ。不器用だからね。日々生きるのに精一杯だよ。余裕なんかないし、リソースもない。関係ないものに構ってる暇、というか余裕がない。だからもう、精一杯の反射として「黙れ」という以外に言葉がない。それしかできない。それでその相手と縁が切れてもしょうがない、と思ってるってことです。

ということで佳境ですけども、なし子先生の話に戻りますが、あれらの一連の出来事と反応などをヌルく見守りながら、ああーなんかこれ、デジャブ感あるなー、自分もよく経験したことだなー、みたいに思ったわけですね。なんか自分のことみたいに思えて。なるほどなーと腑に落ちていった。大森さんについても似たことを思った。

世間では逆の見方かもしれないが、僕なんかにしてみると、能年さんはすごく器用に見える。あんなスカーンと爽やかな意思表示なんかできないよ、と。そういう意味では彼女は本当に素質あるかもね。僕なんか凡人だもの、いっぱいいっぱいで日々戦って、やっとやっとナントカ表現に落とし込んでるに過ぎないよ。そういう過程で、なにか突っ込まれても「うっせーわ、じゃあおまえやってみろよ」としか反論できないのは、排除しているのではなく「いいから黙って見ておれ、ちゃんと納得させるもの作ってやるから」ってことなんだと思う。自分にはその最終段階が見えてるからね、それをカタチにすることが最大唯一の目標で、そのためには、途中で誰かを傷つけたりしても、心の中では「ごめんなー、そんなつもりないねん」と思いつつも、まあしょうがないよね、と切り捨ててる、ってことなんだな。その理由は前に書いたとおり、リソースが足りないからでもあるし、ちょっとした雑音で頓挫してしまった経験が山のようにあったから、また邪魔されて中断したくない、という恐怖もあるわけだ。なので、コミュニケーションにまで気を使ってる余裕がないんだ、ってことですね。

そういう自分の感じを、あれらの騒動でいろいろ思い出して、ああなるほどなあ、みんな大変やなあ、でもみんな文句言うけど、もうちょっと待ってやってもいいのではない?って思うから、何か矛盾感じても、今は殊更細部に突っ込んだりはしない。そのように思ったということですね。

PS
リソース不足、と言えば、そういえば90年代後半になって一気に創作業が忙しくなったときに、電車とか乗り過ごしたり、道間違えたりするようになったんだよ。それまで私、鉄オタだし電車ノリ違えるとかありえないし、何事も完璧にこなしてたつもりだったが、いったいこの体たらくはなんだ??って自分にびっくりしたんだよね。で、出た結論は、創作にリソースとメモリー食いすぎて、ほかの事に頭が回らなくなったのであろう、だった。
テレビなどでよく、女優の天然話とか、ミュージシャンの痛い話なんか聴くけど、コイツらバカなのか、あるいは盛ってるとかじゃないのか、って思ってたんだけど、自分が実際経験したら、ああありうるわ…。って思ったんだな。
世の中の人は大概完璧じゃないよ。そこをいちいち突っ込んで相手の行動を封じるってのは、あまり好ましいやり方だとは思わない。それこそ、若者を潰すおっさんみたいなもんじゃん。迷惑じゃない限りは好きに放置しておくというのが賢いやり方だなって思う。

PS2

【第38回】大森靖子と為末大、炎上させる必要があったのか?|すべてのニュースは賞味期限切れである|おぐらりゅうじ/速水健朗|cakes(ケイクス)

こんな記事を発見したわよ。

とりあえず違う考えの所も多いけど、以下の部分だけは僕が何度も書いてた内容と合致してる。

それを仕掛けているビジネスが活況ということであり

これね。
よく判らんが、いまや業界内も必死に変わろうとしているということではないのかなあ、と僕は前向きに解釈してる。何度も行ったように叩くことでは何も始まらず、とりあえずが勢いあるやつに好きに言わせてやらせておけ、そうすればやがてゲートが開くのだ、ということで正しいと僕は思ってる。そいう意味じゃ田嶋陽子氏だってやってたことは一緒だし。
こないだASKAの件で泉谷しげるがTVで言ってたんだけど、こういう仕事してるやつらは、最低限の「いいやつ」でいてくれ、そういう商売なんだから、と言ってて、それは同意する。聖人君子である必要はないが、目立つ人種としては、やっぱり言動は気をつけるべきとは思う。
ただし、そこに意図がある場合は、あえてする、ということもわかる。その「あえてやさぐれる」程度の問題として、その人各々のセンスや考えは当然反映されるだろう。炎上すると言うのは、そこを見誤ってるか、病んでてSOSシグナルなのか、そのどちらかだと僕は思ってる。

*1:ここで id:font-da さんからツッコミ→まぜっかえすわけじゃないけど、これもまた一つの主義主張ですよね。 「じゃあ... - id:maicou - font-da - はてなハイク が入り、僕は彼女に似てるからそう思うんだろうと返していますw

*2:お笑いビッグスリーが鬱陶しいと思われてることと似ています

*3:ちなみに私は、この3個の条件のうち、ひとつも該当していません。なのにスカウトされたということは、大変自慢していいコトだと今も思ってます。

渋谷系のルーツの話のようなそうでないようなまとめ。

まとまりがないかもですが、先日、渋谷系のルーツを考える、というのが流行った時に*1、自分なりにいろいろ思い出してまとめた発言が以下になります。なかなかおもしろい。

ツイッター渋谷系のルーツをずっと考えてたが、つきつめると、第2次ブリティッシュインベイジョンに行き着くだろうね。 

高浪さんがそういうの仄めかしてたので、やっぱりそうなのか、と思ったけど、そもそもフリッパーズ・ギターも、スタイルカウンシルのパクリから始まったのだし。
ネオアコ系の中でもソウル含有率の高い音楽がスタイルカウンシルとか、あとはスパンダーバレエもちょっとそう。そういうの。
カルチャークラブも同じ。つまり、アシッドジャズのポップだったのだな、と。
第2次ブリティッシュインベイジョンは短かった、比較的早く廃れた、という感覚があったし、徐々に濫造されて質が低下してったので、聴いてるとカッコ悪い音楽になっちゃった。
そういうなか、スイングアウトシスターみたいな一段上の人が出てきて、これはいい!と思ってハマったんだな。そこからはずっと90年代末まで15年くらいスイングアウトシスターを聴き続けた。
いま振り返ると、スタイルカウンシルは好きだったし、ポールウェラーとミックタルボットのコンビも最強だと思ってる。鮮度が落ちなければずっと聴いてたと思うけど、すぐにネタ切れしてしまったんだよなあ。
60年代のソウルやソフトロックを新しい感覚でやりたい、という彼らのコンセプトは、フリッパーズとピチカートに受け継がれて、そのまま渋谷系的な流れになったので、結局、第2次ブリティッシュインベイジョンの、特にソウルネオアコ系が、ルーツだと。
僕がこういう時代のことあんまり語りたがらないのは、昔の自分だと思ってるからなんだよね。
僕は、仲間とか交友関係、文化的な流れとかを引き継いでくるのが嫌で、例えば、彼女が変わった、引っ越した、バイト先が変わった、というような出来事で、それ以前以後を、はっきり切り分けてしまうのです。
自分の中ではその分水嶺のひとつが、スタカンとスイングアウトの間にあり、新しい感覚になった自分が発見したスイングアウトと、それまでの古い自分が聴いてたスタカンとは違うんだ、と。戻りたくないんだ、という感覚があるからだね。
ジャンルではなくて年代だと思う。88年以前と以後では違う自分である、という感覚。なので、アイドルも同じで88年以前の音楽、もちろんおニャン子も含めて、自分としては「昔の自分」である。という。
翌年の89年には平成になってしまうので、その歴史はほぼ平成と一緒ですね。すごいね。
その後は、92年くらいに境目があり、96年に大きな境目があり、そしてaiko椎名林檎に出会った2000年が大きな境目になる。
その境目「以前以後」というように自分の中では感覚が明確に分かれてるので、「以前」のことは、あまり語らない。これは故意にそうしてると思う。なぜかというと「古い感覚に戻りたくないので」ということです。
「むかし ばなし するなんてぇ~ 気~の弱い 証拠なのーさ」 by 松本隆。ということでは。
例外があるのね、それは例えば大好きだったスイングアウトシスターみたいに、ずっと続けてブレイクしていること、そういう対象は語れます。達郎とかも割りと嫌ではない。今やめていなくなってしまった人は、あまり思い出したくないw
で、次の境目はどこにあるんだろう、いつ来るんだろう、というのが、専らの最近の興味でございますw

第2次ブリティッシュインベイジョンで新鮮だったのは、「バンドじゃなくてもいい」というところだった。スタカンもそうだし、ティアーズフォーフィアーズもそうだし、他にもメンバー2人だけ、3人だけ、というグループがたくさん居た。
歌うアイコン女子ものは少なかったな。記憶にあるのでは、 パッツィ ・ケンジットのエイスワンダーくらい。これはバンドだったけど、パッツィは声もビジュアルもすごくよかったと思う。
ポールウェラーを筆頭に、当時はブリティッシュ男子がすごく人気があったからねえ。真似たかっこした男子が東京のいたるところに居ました。
そういう、ファッション面での影響も大きいところが渋谷系ぽいんだよなあ、と思ったりする。みんな草食系だしね。当時はロックは暑苦しいと言われたからw
なので、ライブエイドがもしなかったら、80年代ロックの人たちは、そのまま消えていた可能性も充分あったと思うよ。あれで「古臭い」人々が出てきて、みんなが引いてるところで、スゲエパフォーマンスをして、おっさんも悪くない、という風潮に逆転させたのは、あれはものすごい功績だあと思う。
というわけで、95年前後の東京の様子に既視感があったのは、そういう第二次の経験があったからだろうなって思う。

というような、滅多にしない80年代の話はこれでおしまい。そのうちブログでも書くかw


スイングアウトシスターはホント好きだった。それまでの音楽に足りないと思ってたものが全部あった。だから短命に終わって欲しくないなあ、って祈るような気持ちで追い続けた。90年代まで続いて、大学生の間で、アシッドジャズとして好んで聴かれてると知ったとき、本当に嬉しかったの憶えてる。
こうやって流れで考えていくと、僕の中でSOSの存在はかなりでかいなって思う。僕にとって、aikoと林檎の前はSOSだったんじゃないか。
そういえば、こないだラジオの特集やって気付いたけど、僕はSOSの新譜は99年を最後に聴いてないんだ。aikoを発見したのが2000年なので、ちょうど入れ替わりなんだ。


-「~系」という言葉-
それまでは「~派」みたいな言葉だったのが、なぜ渋谷「系」なのかという話も盛り上がってた。

トロピカル on Twitter: "@mokomoko @LettuceOfLife @69Gentleman @y_kurihara 一つあまり指摘されないこととしては、「○○系」て物言いが90年代前半に流行りはじめた、てのがある。「ラーメン食べる?」を「ラーメン系いく?」みたいな"

実はこの「系」という言い回し、90年代初頭から僕らのバンドの身内でもさんざん使っていた。それまで、たとえば「寿司でも行く?」みたいに言ってたのを、ともかくなんでも「寿司系でも行ってみる系?」みたいに言ってた。
ともかく、湾曲な言い回しを考えたほうが勝ち、みたいな風習があり(笑)、ここでも、寿司、と断定せずに「系」をつけて、揺らぎを含めてるのが面白かったのだ*2。当然外部ではそれは通じず、同じ音楽仲間や仕事でも、「~系」という言い回しは通じなかったと記憶する。なので、やがて世間で浸透し始め「それ系」などという言い回しが出てきた時は、ものすごく驚いた。
メジャーのアーティストをやってた友人が歌詞の中に「~系」と盛り込んだのが96年、この時点で、この言い回しは一般に完全に浸透したと言えるだろう。

-intermission-

僕が渋谷系スタイルに「戻る」過程を。
基本的に僕の場合、あくまで「メジャー路線」だということがわかる。
それは僕自身の作風にも一貫している。


「あ、日本の音楽変わる!」って一番最初に思った曲。92年


私がオバさんになっても - YouTube


あとこれ(曲。03:08〜)。


スウィート・ホーム OP - YouTube


僕的にこれは「完璧な曲」。


熊谷幸子 風と雲と私1.flv - YouTube


これも名曲。


内田有紀/幸せになりたい 1996.mpg - YouTube


これも、ものすごく好きだった。


森高千里 『二人は恋人』 (PV) - YouTube


-閑話休題-
これ以降は、80年代の音楽は殆ど聴かなくなったな。もう聴かずに済んだんだよ。それ以前までの要素がすべて含まれてブラッシュアップされたものが存在してるのだから、不要なんだよ。


-音楽的な変遷-
僕は音楽家なので、これは新しいとか変わったとか言う場合は、もちろん今までになかった進行とかコードとか、ということになるよ、もちろん。 
今まで挙げた曲やアーティストにはそれがあったってことですね。もちろんポップス音楽の歴史としては別に新しくは無いんだけども、日本人の歌謡曲製作者がココで使い始めた、という瞬間が存在するってコト。 
使いこなせるようになった、でもいいのかもしれない。例えばネオアコのソウル含有率高めってどういうことなのか、っていうこととか。 
92年の、おばさんになっても、でオーッと思ったのは、それがおおぴらに使われてたからで。それ以降、日本のメジャーポップス(オリコン上位を目指すというような意味での)での制限がなくなったんだよ。 
それまでは、そういう進行を使うと、どうしてもユーミン小田和正ぽくなってしまうので避けていたんだろう。つまり応用が出来なかった、そういう実力のある人がなかなか出てこなかった、世間も求めてなかった、でいいと思います。 
スタカンは日本で人気があったので、もどきみたいな人たちもいたけど、みんな単なる劣化コピーに過ぎなかった印象があるし。やっぱり「出来なかった」んだよ。 
東京ラブストーリーが91年だね。あれで本人が自ら禁断を破ったんだな。一方の由実さんはミリオン時代で、昔ぽさが無くなり古いファンには不評だったが、ちゃんとアナリーゼすると、高度なコードw を相変わらずちゃんと駆使してる。 
その双璧をやっと他のヒトが超えられたのが92年頃であろう、と。そしてそれを進化させていき、双璧の二人を凌駕していく。って感じだと思う。 
まあでも今でも、和もの切ない系バラードとか聴くと、どれも「春よ来い」の変奏曲wに聴こえるけどね。悪くは無いけど、別に新しくはない。 
90年代以降は、言葉がコード進行を引っ張っていく、みたいな作り方ががすごく上手くなったよね。つまり自然に身体に入っている世代が主流になってきたということで、そこで時代が変わった、と。 
同じようなブラッシュアップは、aikoと林檎でも行われてて、だからこそ、あの二人は素晴らしいわけです。 
頑張って創りあげた世代 vs それを子どもの頃から聴いてて既に身体に入ってる世代、ってことかな。 
誰もが、コピーしてその元ネタを超えられるものを作れるわけじゃない。だから、彼女達は特別。ってことですね。 aikoと林檎に出会えたからこそ、今の僕がある。と。



-アイドル史(おまけ)-
自分のアイドル歴からハロプロ系がまったく抜け落ちてるって話は前にしたけど、もういっこ、広末もまったく抜けてます。興味なかったなあw
こないだ初めて、マジで恋するなんとかってやつを聞いたけど、なんかクドイ曲だなって思ったw
ASAYAN系がまったく抜けてるんだよな。鈴木あみも例の裁判事件になって初めて知ったw その後、曲聴いたらデビューアルバムはいいアルバムだった。
何が流行ってたんだろう、小室系?そういえば私、hitomiが好きだったんだけど、しばらく離れてて、99年のSomedayで久々に引っかかって、また聴き始めたんだよな。だから99年はhitomi聴いてた。
渡辺善太郎曲はよかった。96年から停滞してたけど、久々に新しい感じがあった。今思えば、そういうちょっとグランジな感じが、その翌年のaikoや林檎との出会いの前哨戦みたいなことだったなって思う。
96年まで聴いてた古内とかCharaとかはみんな居なくなってしまったのよね。低調になったり結婚したり。その合間を埋めるものがなくて、何も聴いてなかった。
92年にせっかく、新しい時代ダーと思ったけど、それも90年代末には停滞して、hitomiくらいしか聴いてなくて、世紀末だなあ、という感じがあった。
99年には自分もライブ活動してCD作ったりしたけど、みんなは「よいねよいね」と言ってくれて協力もしてくれたけど、自分の中では「夢の終わり」だなと思って冷めてたなあ。これでオレの活動も終わりかあ。。みたいに思ってた。
だから21世紀になってこんな展開するとは思っても居なかったので、その後はもうずっと、夢の中みたいな感じがする。

*1:「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点 - Real Sound|リアルサウンド

*2:寿司系でも言ってみたいなという気配があるような感じがするような気がする雰囲気があるかもしれない様子があるw など。

むかしむかしの Twitter 話。


古参Twitter女子に聞く! 初期のTwitterって今とどう違ったの? - トゥギャッチ


これのことですが、ブクマでも書いたとおり、カツマー香味に発見されて、すべて終わってしまったという話だけど、実際に具体的には何が起こったかというと。
また長崎時代の愚痴になって嫌なんだけども、僕はリアルな知り合いとネットの交流というのはハッキリ分けてたんです。違うものである、という認識もあったし、混ぜることはしない、と決めていました。これは僕だけじゃなく、当時のネット民の常識じゃなかったかなあ。
逆はいいんですよ。ネットから広がって、オフで会ってリアルでも仲良くなる。これは何度も経験し、全部大切な出会いになりました。でもその逆はない、しない、と。
勝間香味事件で、ドバドバ一般人が参入して、長崎のリアルな知り合いが僕のアカウントを発見し、フォローしてきてしまったのです。
そ れくらいいいではないか。って思う?甘いよ。僕みたいな仕事してるヒトにとっては、例えれば、個人アカウントなのに、会社のヒトに見つかってフォローされ た、ということと等しいの。その頃は、オフィシャルな別アカウントを創る、という発想もなかったし。なにより、そんなこと考える間もなく、あのバブルが急 激だったので、対処が間に合わなかった。あっという間に、リアルな知り合い多数に見つかってしまい、何もいえなくなってしまった。四六時中、見張られてる ような感じになった。息苦しくて死にそうになった。それが発言に現われ荒んだTLになった、みんな「思ってたのとは違う」僕の本性に、引いて去っていっ た。リアルで最果ての土地で取り残された。という流れです。

僕はみんなと違って、飲み仲間も居なかったし、互いに愚痴を言い合って、わっはっはー などと盛り上がれるような相手もいなかった。また、そういうことをすることに興味がなかった。ネットの隠れた場所で、独り言として、こうして日々思うこと や愚痴を書き、自問自答し、それがやがて解決し、新しい発想を生み、作品に転化していく。それが僕のすることだ。クリエイターだから。と決めてたんです よ。そういう「思考の試行錯誤」の場が消えてしまったのね。鶴の機織。それが発見された。これは作家としての死を意味した。

その頃に、ハイク に出会ったのだね。ココに逃げてきたの。他にも、わっさーとかいろいろ「ツイッターもどき」みたいなのはあったんだけど、ハイクが一番よかった。使いやす いとか文字数制限ないとか、いろいろいいところあったけど、このなんというか、ぬるい繋がりがよかった。邪魔するヒトも居なくて、ゆっくり書きながら、考 えて、発展させていくことが出来た。だからずいぶん救われたなと思う。

でも、あのツイッター事件で失ったもの、場所や交流や信用とか。それは二度と戻らない。あの時点で僕はもう、長崎には居られない、と悟ったの。
鶴の機織を見られてしまったから、長崎のみなさん、私は飛び立ちます、ってことだったんだよ。

とまあ、郷愁で一方的に語ると、まあこんな感じになるけど、一方、このキャズム超えは、後の日本を救うことになる。言うまでもなく東日本大震災ですね。このとき、軒並み通信手段が絶たれ、マトモに動いていたのはツイッターだけだったのよ。
そう考えると、カツマー香味は日本を救ったとも言えるわけです。むしろその為に存在していた、とすら思えるのがすごい。結果的にいいことだったってことでもあるんだな。


そうそう、あと、もうひとつ、思ってることがあります。
この頃に FaceBook があったら、どんなによかっただろう。。ということです。

いえ、実際には FaceBook ありました。僕はアーリーアダプター的なネット活動をしてたので、FBに参加したのもずいぶん早く、いま調べたら2008年くらいなので、ツイッターのちょっとあとに始めてると思います。その頃は、誰もやってなくて、ネット上の限られた知り合いとフレンドになり、細々とやっていたのですね。
もしその頃に、今みたいに大きなつながりになってたら、僕は告知することが山ほど在り「リア充まっしぐら」みたいなことになってたと思います。
みんなが酸化してメジャーになったのは 2012年くらいかね。その頃は僕はもう既に、告知することもあまりなかったし、仲間も一掃されて、反応も全然なかった。同業のほかの人たちの盛り上がり振りを冷めてみてて、あー楽しそうですねー(棒)、などと思ってただけでした。

当時ネット民の間で出た結論は、結局リアルだろうがネットだろうが「元々の知名度があった人、リア充な活動をしてたヒトが全部持っていく、勝つ」ということでした。チマチマ活動して拡げていった地道な輪なんか、メジャーなヒト、充実した人たちに、あっという間に地引網みたいに根こそぎ持って行かれてしまうのです。
そういう人々からすると、ぼくなんか「ちっともネットやSNSを使いこなしてないヒト」ってことになります。実際そう言われたしね。でも、 活動すればするほど、差がつくばかりなんだよ、これ。そういう派手な活動をしたくてネットやSNSに参加してたわけいじゃないのにね、いきなり歌舞伎町の真ん中みたいなところに引っ張り出されて、全員、同じ条件で勝負やで!ってなる。別にそんなの要らない。でも、そうされてしまった、ということですね。

僕は、ほぼ同時期に、ツイッターとFBと、2箇所で居場所を失くしてしまったわけです。

そうそう、おもしろい話があってね、「近頃、フェイスブックという新しいSNSが登場し、始めるヒトが増え人気です」というニュースを見たときに、「フェ イスブック??そういう名前のサービス、もうあるじゃん、パクリかな?」と思ったのです。僕がやってたフェイスブックと、巷で流行りだしたフェイスブック が、まさか同一のものだとは思わなかったんだよ。で、調べたら、同じものじゃん!!ってなって、検索とかすると、知り合いとかが居るわけだ。ひえーって なったね。

それまではみんなミクシーやってたよね。ひとむかし前の出来事ですよ。ネット民の平均アラフォーになるわけだよね…。(悲哀)